南相馬市

第121話 野馬追いの里マラソン結果報告

 
★全盲のマラソンランナー星純平さんのからのメールを転送します。
ハンデを乗り越えて挑戦する姿に、感動を覚えました。
 

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★視覚障がい者ランナーの星純平です。

日頃は、ラジオ福島をお聞きの多くの皆様から応援をいただきまして、誠にありがとうございます。

視覚障害者となり閉鎖的な日々を送る中、多くの方々のご支援を頂く事で、マラソンと言う世界を体感しています。

ただの一市民視覚障害者ランナーと思って走ってきましたが、ラジオ福島の大和田さんとの出会いで、ラジオ番組にて熱意を持って取り上げて頂きました。

その影響によって、多くの方々から応援をしてもらう事になりまして、心から感謝しています。

その反面、戸惑いもありますが、光を失い、気持ちを閉ざす日常から少し解放されたような喜びを実感する今日この頃です。

自分自身の運命と戦う一つの形として今、マラソンと向き合ってゆきたいと思っています。

今後とも、温かいご声を宜しくお願い致します。
 

★12月2日(日曜日)に南相馬市の「野馬追いの里マラソン」へ出場してきました。

種目はハーフマラソンです。

伴走をしてくださったのは、オリンピックランナーの佐藤敦之選手です。

敦之選手には今年の9月16~17日に檜原湖1周30kmをメインとした合宿をしていただき、2日間で64kmを伴走者としてトレーニングくださいました。

福島の現状にあって敦之選手は復興の一助と精力的にご活躍され、ご自身も更なる目標に向かい現在も努力を重ねています。

そのような多忙な毎日をおくる中で僕の伴走をお引き受けくださ いましたこと、心から、感謝しています。
 

★開催地の南相馬市は絶好のマラソン日和。

「スタート5分前」のアナンスを聞きその瞬間を興奮と不安の中で待っている時、「純平さんスタートラインの一番前に並んでいるからね」と大和田アナウンサーの声。

緊張が跳ね上がりました。

しかし、それが心に集中を呼び込む切っ掛けとなりよいスタートが切れました。

敦之選手が僕の実績から84分を目標タイムに設定しました。

かなり高い目標です。

敦之選手は、視覚障害者への初伴走でしたが、僕が走りやすいように伴走のイメージを重ねてきてくださったようです。

コーナーの支持や路面状況を絶えず大きな声で教えてくださいました。走りながら大きな声を出し続けるのはと ても大変な事です。

ですからとても安心して走る事ができました。

沿道からは「敦之選手、野馬追いの里を走りに来てくれて、ありがとう」と、温かい歓迎の声が絶えませんでした。

敦之選手の人柄を南相馬市民は敬意をもって迎えていました。

ラスト2km、佐藤敦之選手は「ここからは鬼になって伴走します」と、真剣に僕を更なる世界へ導こうと檄が始まりました。

その情熱に応えたいと、僕も必死で走りました。

ゴールタイムは83分17秒!! 

大幅な自己ベスト更新です。

視覚障害と向き合うために走ると言う思いから、視覚障害を持つ競技者として挑戦すると思いを変えたレースで、今後の目標につながる成績を出せたのはとても嬉しく自信となりました 。
 

★本大会も、伴走をして下さいました佐藤敦之選手をはじめ、多くの方々のご支援により、走らせていただきました事、心より感謝申し上げます。

引き続きのご支援ご声援をよろしくお願いいたします。

本当にありがとうございました♪

星 純平
 

第120話 星純平さん

 
★全盲のマラソンランナー、福島市の星純平さん(37)が今日、南相馬市で行われた「野馬追いの郷・健康マラソン」のハーフ部門に出場、83分台のベストタイムを記録しました。
 

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星純平さんの伴走を務めたのは、北京オリンピック男子マラソン代表の佐藤敦之選手。

佐藤選手は1週間前に、大阪マラソンに出場したばかりでした。

スタートの前に佐藤選手は星さんに、「楽しく、激しく、目標の84分台を目指して走りましょう。給水なんかしている暇はありまんよ」とユーモアを織り交ぜながら、気合いを入れていました。

レース終了後、星純平さんは、「83分台の好タイムを出せたのは、佐藤敦之選手を始め、これまで私を支えてくれた多くの皆さんのお陰です。本当にありがとうございました。来年の4月に行われる「霞ヶ浦盲人マラソン」では、最大の目標であるサブスリー(フルマラソンを3時間を切る)達成を目指します」と涙ながらに力強く語ってくれました。

佐藤敦之選手に初伴走の感想を聞きました。

「純平さんの頑張りには脱帽です。純平さんがおっしった『走る事より、目の見えない事の方が、ずっと苦しく大変です』その言葉の意味をいつも考えています。

星純平さんはマラソンを始めてまだ3年。まだまだ、強くなれると確信しています。

これからも、一緒に頑張って行きましょう。私も来年の世界陸上を、さらにはその先のリオを目指して頑張ります」と話してくれました。

星純平さんと佐藤敦之選手は、固く握手を交わし再会を誓っていました。

それぞれの夢の実現の為 に、頑張って下さい。
 

★写真は、スタート前の佐藤敦之選手と星純平さん。

そして、地元小高出身でトヨタ自動車九州の今井正人選手。(初代山の神の自宅は、津波の大きな被害にあっている)。

もう一枚は、星純平さんの完走証書を持つ、純平さんの美人の奥さん。
とても恥ずかしがり屋さんです。
 

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第117話 頑張れ純平

★全盲のマラソンランナー、福島市の鍼灸師・星純平さんが2日の日曜日、南相馬市で開催される「野馬追いの里マラソン」のハーフ、20キロに出場します。

 

頑張れ純平
伴走は、北京オリンピックマラソン代表の、佐藤敦之選手です。

目標タイムは、85分を切ること。

純平さんはマラソンを始めてまだ3年。

フルマラソンを3時間を切る、サブスリーを目指しています。

夏に佐藤敦之選手の合宿に参加した純平さんは、的確なアドバイスを受け、メキメキと力を付けてきました。

でも、全盲であることから、練習には伴走者が必要で事は変わらず、思ったような調整ができなかった面も否めません。

しかし、純平さんの口からは、一言の愚痴も聞いた事はあ りませ んでした。

当日は、楽しんで走ってもらい、結果として目標をクリアーしてもらえれば、最高ですね。

頑張れ、純平!

ありがとう、佐藤敦之選手!

二人が握って走る犬の首輪を、純平さんは「絆」と呼んでいます。

★写真は、夏の合宿から、真ん中が星純平さん。右は、佐藤敦之選手の奥様、ミホさんです。ミホさんは、800メートル女子日本記録保持者です。ミホさんの献身的なサポートには、頭が下がります。

第109話 笹原留依子さんに聞く

 

★12月3日(月曜日)夜7時から放送の「月曜Monday (もんだい)夜はこれから」。

 
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今回は、岩手県北上市の復元納棺師・笹原留依子さんをスタジオに迎えてお送りします。

笹原留依子さんは、震災後岩手県沿岸部で遺体を復元したボランティアを続けた復元納棺師です。

その数は、300体を超えています。

笹原さんは、岩手県北上市で納棺業を営んでいます。

遺体を清めてひつぎに納めるのが主な仕事で、事故や災害で傷ついた遺体を、写真を基に復元することもあります。

★震災後、支援物資を満載した自家用車で陸前高田市に入った笹原さんは、遺体安置所で3歳の少女の遺体を目にしました。

髪の毛には藻が巻きつき、砂だらけの顔は黒く変色していました。

その時笹原さんは、「自分なら可愛い顔に戻せるの に・・・・」と思いましたが、遺族の許可がなければ触れることもできません。笹原さんは悔し涙を流しました。

その後笹原さんは、遺体の復元に全力をあげました。遺体の中には、生後10日の赤ちゃんもいました。その隣には母親の棺もありました。

赤ちゃんの顔は原形を留めず、一筋の出血の跡が鼻であることを想像させました。

笹原さんは、赤ちゃんの口を探し、そこから脱脂綿を詰めて頭の形を整え、まるで寝ているような穏やかな顔に修復しました。

赤ちゃんと対面したお父さんは、はじめて、赤ちゃんの名前を呼んで泣きました。

部分的に白骨化した女性もいました。顔だけでなく、手も復元しました。
遺族は、生前に用意していた結婚指輪をはめてあげました。

笹原さんは今、遺族の心のケアのため、医師と連携し毎月「お医者さんのお茶っこクラブ」を開催しています。

言葉ではなくは魂で復元ボランティアを行ってきた笹原さんの活動は、遺族が本当に求めていた支援だと確信しています。

★この日は朝から、笹原留依子さんと被災地(いわき市沿岸部・広野町・楢葉町)を、いわき市在住のフォトジャーナリスト・高橋智裕さんの案内で回ります。

写真は、笹原留依子さんの著書と、今年4月17日、南相馬市北海老地区の高台の墓碑に手を合わせる笹原留依子さん。

12月3日(月曜日)夜7時から放送の「月曜Monday (もんだい)夜はこれ」は、インターネットのユーストリームを通し、音声と映像を世界中に発信します。\(^-^)/

県外の方は、パソコンかスマホでお聴きを。
 

月曜Monday 夜はこれから(12月3日)
http://www.ustream.tv/recorded/27466940
 

第101話 ふくしま・きずな物語

 
「きずな」をテーマにした作文・エッセイの表彰式が今日、二本松市で行われました。

その内の4作品を、私が朗読しました。

どれも感動的な作文で、震災から多くの人達に支えながら生きてきた「感謝」の思いにあふれていました。

3000通にも及ぶ作文・エッセイの応募作品の中で、堂々の最優秀賞に輝いたのは、南相馬市立原町第二小学校2年生の大槻虎聖(おおつきとらきよ)くんの「ふくしまのたからもの」でした。

虎聖くんは震災後、南相馬市から福島市に避難してきました。

そこでの不安と、友達への感謝の気持ちを素直に表現していました。

何回読んでも、涙があふれました。

以下、全文を紹介します。
「最優秀賞」 ふくしまのたからもの 大槻虎聖

★僕は、3月11日の震災で、福島市に避難してきました。そして、福島市の野田小学校に入学しました。

本当は、仲良しのレオくんと、はるくんと一緒に、原町第二小学校に行くはずでした。でも、みんなバラバラになってしまいました。

入学式の日、僕は、とても不安で泣いてしまいました。お父さんとお母さんはいたけど、友達が一人もいなくて、さみしくなりました。

担任の先生が、「大丈夫、大丈夫」と言ってくれました。嬉かったです。

次の日の朝も、僕は不安でした。校門まで、お母さんが送ってくれました。涙が出そうだったけど、お母さんに、「とら、行くしかないよ。この学校に行くしかないんだから」と言われたので、気合いを入れて行きました。

ドキドキしながら、教室に入りました。前の席の友達が話しかけてくれました。

気がついたら、友達がいっぱいできました。毎日、学校に行くのが楽しかったです。

となりのクラスの先生達も、「とらちゃん、とらちゃん」と言って、話しかけてくれました。

みんな優しくて、面白くて、僕は、野田小学校に入って良かったなと思いました。

体育館で友達と、鬼ごっこをしたり、どっちボールをしたことが一番の思いでです。大好きな友達がいたから、家族がバラバラになっても、福島で楽しく元気もりもりでいれたのかなと思います。

原町に帰ることになって、先生がお別れ会をやってくれました。また、僕は泣きました。友達も泣いていました。ありがとうって思いました。さよならするのはさみしいけど、みんなが手紙をくれて、とても嬉しかったです。

僕の大事なたからものです。

(大槻虎聖)

虎聖くんのたからものは友達からの手紙でした。福島県のたからものは、虎聖くんだと思いました。