南相馬市
★南相馬市鹿島区南海老地区の、太平洋を見下ろす高台。松の木を乗り越え15メートルの津波が襲った。
手作りの墓標も、津波で流された家の土台も全て撤去された。
ここでは、3人の家族が亡くなった。海の好きな家族が、父の定年をきっかけに6年前に福島市から越して来た。
地震発生直後3人は、南相馬市が指定したハザードマップに従って近くの公園に避難した。
津波は容赦なく、その場所に避難した住民11人をのみ込んだ。
ハザードマップは、全く役に立たなかった。
★遺族にとって、現実を受け入れ、忘れようとすることも、大切な心の復興につながるのだと、更地に立ち、波の音を聞きながら思った。
何もなくなっ てしまったらこそ、ここに来て、手を合わせることが、私のこれからの大切な使命だと実感した。
YouTubeで「ラジオ福島願い」を検索してもらうと、墓標の写真を見る事ができる。
震災から半年間撮り続けた写真を、浪江町請戸出身のシンガー門馬よし彦 さんの曲「願い」に乗せてスライドで紹介。
http://www.youtube.com/watch?v=K8SOLksIhDI
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2013年1月13日 |
南相馬市
南相馬市鹿島区烏崎(からすざき)地区の高台にある八龍神社。
津波による壊滅的な被害のこの地域にあって、八龍神社は完全な形で残った。
地域の人達がこの境内に逃げていれば、助かった命があったはず。
社殿に置かれたぬいぐるみが悲しい。
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2013年1月12日 |
南相馬市
南相馬市原町区萱浜(かいはま)。津波により137人が亡くなり、今も10人が行方不明となっている。
海岸から1キロの上野敬幸さん(39)の自宅は10メートルの津波に襲われたが、奇跡的に外観だけが残った。
しかし、最愛の長女(8)と、長男(3)、それに両親の家族4人を亡くした。
被災した家の玄関前の慰霊台には、新しい子供達の写真が置かれていた。
そして、津波の被害を受けた家の東側には、新しい自宅が建築されていた。
ここに住むのは、上野さん夫婦と震災後誕生した次女の3人。
上野さんの自宅周辺は基礎も撤去され、広い空き地になっている。隣の家までは200メートル。回りに街灯も無い。
一時期この場所は、住宅建築は許されていなかった。しかし上野さんは諦めずに行政を説得した。それは上野さんの命をかけた陳情だった。
家族と過ごした大切なこの場所は、家族を失った悲しい場所でもある。
震災から1年10ヶ月。上野さんの家族を想う気持ちは、ここから離れないという強い信念となって、3月に竣工する。
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2013年1月11日 |
南相馬市
南相馬市最大の被災地、特別養護老人ホーム「ヨッシーランド」。
37人が亡くなり、未だ1人が行方不明となっている。
震災から1年10ヶ月。建物はようやく解体された。
遺族の思いは。
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2013年1月11日 |
南相馬市
1月7日(月曜日)の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」は、スタジオに震災を乗り越え、リーダーとして懸命に学校を引っ張ってきた、女子高生3人を迎えてお送りする。
①小高工業高校生徒会長の高野桜さんは、福島県で唯一「高校生平和大使」に選ばれ、昨年8月にジュネーブの国連欧州本部で、核廃絶について英語でスピーチした。
高野桜さんの夢は、大学に進学し、小高工業高校の先生になること。
②南原怜奈さんは、高野桜さんの親友で、震災後、小高工業高校から福島市の福島工業高校に転校して生徒会長になった。
南原怜奈さんは、避難生活の中で、96歳の曾祖父を亡くした。「100歳まで生きる」が口癖だった。
南原怜奈さんの夢は、県外に就職し、復興の進まない福島や故郷小高の現状を伝 えること。
③沼能奈津子さんは南相馬市の原町高校の前生徒会副会長。また、放送部の部長として、原発作業員を扱った番組を制作し、高い評価を受けた。
沼能奈津子さんの夢は、大学進学後、メディアの仕事に就き、故郷復興の力になること。
3人の女子高生は、自らの夢実現の為に、希望を失わず精一杯頑張っている。
1月7日(月曜日)、夜7時からの「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」は、ユーストリームを通して、音声と影像を世界中に発信。
写真は昨年11月、高野桜さん南原怜奈さんと一緒に講演した時のもの。
高野桜さんと南原怜奈さんは、南相馬市小高出身。沼能奈津子さんは警戒区域となっている浪江町出身。
3人は今も、家族が離れ離れの生活を送っている。原発事故に翻弄された1年9ヵ月を振り返りながら、福島再生の提言を聞く。
月曜Monday 夜はこれから(1月7日)
http://www.ustream.tv/recorded/28305427
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2013年1月2日 |
南相馬市, 月曜Monday
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