南相馬市

第264話 小高レポート①

 

 
DSC_1641
 
DSC_1639
 
DSC_1640
 
浪江町レポートに続いて、小高区レポート。

警戒区域の浪江町から、南相馬市小高区へ。

原発から20キロにある国道6号沿いにある検問所を過ぎると、午後2時44分になっていた。
検問は北海道警察が担当していた。

取材車を降りて海に向い、全員で手を合わせて黙祷した。

小高の町に鎮魂のサイレントがこだました。

この2年間の思いが一気にこみ上げてきて、涙が止まらなかった。

昨年は、いわき市北部の久之浜海岸にいた。

波打ち際に手向けられた花束を前に、小さな女の子が「おばあちゃん、ありがとう」と叫んでいたのが忘れられない。

南相馬市小高区は、昨年4月16日午前0時をもって、警戒区域が解除 された。

あれから11ヶ月。除染、インフラ整備の遅れから町の復興は遅々として進まない。

小高駅前で洋菓子店を営んでいた「菓詩工房わたなべ」の渡部幸史さんを訪ねた。

ここのシュークリームの人気は高く、仙台からも買いにくる常連客もいた。

従業員15人で、年商12億円の菓子店も今は休業状態。しかし、いつかはこの小高で復活を誓う。その意気込みが、垂れ幕と店先の黒板のメッセージに表れている。

「がんばっぺ小高!必ず小高で復活します」

電気はじょじょに復旧しているものの、上下水道の復旧や除染が進まない小高の現状を渡部さんは熱く訴える。そして、自分達でできることは自分達でしようと結んだ。

渡部さんの熱意を支えているのは、長男の 存在だ。

震災後、大学2年生の長男が「店を継ぐ」と親に相談もなく、大学を辞めて帰ってきた。

今は、東京の専門学校に通い、洋菓子作りの基本を学びながら、店を手伝う準備をしている。

渡部さんは言う。「息子の後押しがなければ、今の自分はいなかった。先ずは妻と息子と3人で南相馬市内に店を出して、うちのケーキやシュークリームを待っているお客さんの為に頑張る」と。

「必ず小高シューを食べに来ます」と約束して、カンニング竹山さんは渡部さん親子と、力強く握手を交わして別れた。

第258話 カンニング竹山さんと原町高校生

 

 
DCF00341.JPG
 

2011年6月13日(月曜日)。

震災から3ヶ月後、県立相馬高校をサテライトとして間借りしている、県立原町高校吹奏楽部を訪ねた。

カンニング竹山さんのいきなりの登場に、原高生、相高生から大きな歓声があがった。

当時の原町高校の八巻校長 先生の話に、カンニング竹山さんはただうなずいて聞いていた。

原町高校、相馬高校の生徒の皆さんの笑顔が忘れられない。

第256話 卒業おめでとう

 

今朝2時前に送られてきた感動のメールを転送します。

送り主は、3月1日に福島県立原町高校を卒業した沼能奈津子さんです。

沼能奈津子さんは、生徒会副会長や放送部長を務め、原町高校を引っ張ってきました。

推薦入学で法政大学社会学部に進みます。

将来はメディアの仕事につきたいと考えています。

沼能奈津子さんの思いは、浪江町のいや、原発事故で帰れない人達の悲しみ、怒り、不安、そして故郷への感謝の気持ちを代弁しているように思えてなりません。

夜分にすみません。ずっと考えていたらこんな時間になってしまいました。

大和田さん、おかえりなさい。美女はたくさんいましたか?フランスでの生活が充実していたことが伝わってきます。私もフランスいってみたいです!

★昨日、1年11ヶ月振りに浪江の自宅に一時帰宅しました。報告します。

変わらない綺麗な空、我が家。そんな風景に安心感を覚えながら自宅の周りを歩く。ピピーと放射線測定器が鋭い音を出す。自宅の線量は約3マイクロシーベルト。現実を知る。どんなに見た目が変わっていなくても確実に変わったことがある。放射線は目に見えず、以前と変わらない自宅を見ると帰れるかもしれないという錯覚を覚えてしまう。 しかし、それは違う。まだ帰ることはできない。中はねずみに荒らされていた。しかし、以前、両親が整理をしてきたのでそこまで汚れてはいなかった。友達にプレゼントして貰ったもの、集めていたもの、小中学校で使っていた教材などを見つける。ただただ懐かしい。一つ一つに思い出がある。小中学校の卒業アルバムは置いてきた。私が成長した証。それらを浪江の自宅から持ち出してしまうと、二度と帰れない気がする。生きた証を浪江の自宅に残したかった。

私が卒業した苅野小学校や浪江中学校にも行った。小学校周辺は約4マイクロシーベルト、中学校周辺は約5マイクロシーベルト。再び現実を知る。母校が荒廃していた。そんな姿みたく無かった。子供がいない学校はただ冷たい建物だった。

請戸にも足を運んだ。約0.1マイクロシーベルト。初めて見る地元浪江町の海岸。2011年1月1日に初日の出を拝んだ海岸。跡形もない。あるのは潮の香り。言葉にならなかった。カメラを回すことに抵抗を感じた。正直、怖かった。しかし、伝えなければならない。この言葉を自分に言い聞かせ、撮影した。警察官が捜索をしている。感謝の言葉しか浮かばない。

何度も目を塞ぎたくなった今回の一時帰宅。現実と向き合うことがどれだけ難しく、苦しいことか、改めて感じた。しかし、これから福島を離れるからこそ知らなければいけない現実だと思う。今回は、映像だけでは感じることのできないものを感じることができた。

2年間、沢山の葛藤や悲しみを身近でみてきた。その中で、他人の悲しみや苦 しみを背負うことができないもどかしさを感じた。背負うことができないなら、人々の苦しみや悲しみを汲み取り、それらの思いを社会に訴えかける存在になりたい。その方法を大学で見つけたいと思う。

正直、福島から離れることに負い目を感じることがある。私だけ現実から離れていいのだろうか。私だけ羽を伸ばしていいのだろうか。自問自答の日々。しかし、福島県外からの視点を養うことも重要なことだと思ようになった。東京でこれまで以上の温度差を感じ、嫌になることもあるだろう。それらの現実を含め福島県だけでなく、日本全国の現実と真っ正面から向き合っていきたい。

今回の一時帰宅は様々な意味で実りのあるものとなった。連れて行ってくれた両親に感謝している。

★とりとめもない長文失礼しました。拙い文章です。まだまだ伝えたいことがあります。もっと伝えられる文章を書けるよう修行します。最後まで読んで頂きありがとうございました。

沼能奈津子

第255話 3月11日(月曜日)

 

「東日本津波・原発大震災」から、間もなく2年。

この日は「鎮魂の日」です。

反原発を声高に訴える日ではないと思っています。

午後2時46分、静かに犠牲になられた方々のご冥福を祈りましょう。

私はこの時間、TBS ラジオD igのスタッフとタレントのカンニング竹山さんと一緒に、警戒区域の浪江町の請戸港にいます。

TBS のクルー、カンニング竹山さんと、花と線香を手向け、手を合わせて参ります。

3月11日(月曜日)は、カンニング竹山さんと浪江町や南相馬市の小高区、原町区萱浜を回り、福島の現状を見てもらいます。

浪江町では、除染土が集められている役場周辺や、建物が崩れたままの商店街。

現職警察官の殉職慰霊碑、83人の子ども達の命が地域力によって救われた請戸小学校、防波堤に舟が打ち上げられている請戸港などを見て回ります。

その後、南相馬市小高区に入り、昨年の4月16日に警戒区域が解除されてから11ヶ月たった今も、ライフラインの復旧すら進まない現状を見てもらます。

そして、小高復興に向けて頑張る住民代表の渡辺菓詩工房社長の渡部幸史さんにお会いし、復興が進まぬ小高の現状と今後の課題を伺います。

また、南相馬市萱浜では、家族4人を津波で亡くした上野敬幸さんを自宅に訪ね、原発事故で家族を捜すのが遅れた遺族の悲しみと向き合ってもらいます 。

カンニング竹山さんと震災後被災地を回るのは、3回目になります。

カンニング竹山さんはこれまでにも、福島に寄り添い、福島を支援してくれました。

心から感謝しています。

3月11日(月曜日)は、「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから」の夜8時30分からカンニング竹山さんに出演してもらう予定です。

また、この日は夜10時から深夜1時までの3時間、TBS ラジオの人気番組「Dig 」をラジオ福島のスタジオから全国に向けて生放送します。

私も出演します。

★(月曜日)夜7時から放送の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」は、ユーストリームを通して世界中に音声と影像を発信。

県外の方はパソコンかスマホでどうぞ。
 

『月曜Monday 夜はこれから!』(ラジオ福島)
【ustream】 月曜 19:00~20:50
 http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio
【facebook】
 https://www.facebook.com/Monday1458
  

また、Dig の中では浪江町の馬場有(たもつ)町長がゲスト出演します。

ぜひ、お聴き下さい。

写真は現在の浪江町。

 
DSC_1428
①建物が崩れた商店街。
 
DSC_1434
②請戸港入口の慰霊碑。
 
DSC_1445
③請戸小学校の2階の時計は津波が来た時間を指している。
 

第235話 笑顔に感謝

 
3月1日に原町高校を卒業する、原町高校前生徒会副会長で放送部長を務めた、沼能奈津子さんからの嬉しいメールを紹介します。

おはようございます。

メール、とても嬉しかったです。私も大和田さんとの出逢いは宝物です。

震災後、マスコミに対して不信感を抱いていた私は、将来の目標を見失っていました。そんな時、大和田さんからラジオ番組出演のオファーを頂きました。

正直、他局からの取材にうんざりしていたし、カメラやマイクが凶器に見え、恐怖がありました。

しかし、大和田さんは「今、なっちゃんが思っていることを言えばいいから」と、取材というよりは、私に発信する場所を与えて下さいました。

ラジオ出演後、やはり震災と向き合い、多くの人に伝えなければならないと思いました。

大和田さんと出逢わなければ、震災と向き合い、 伝えたいと思わなかったかもしれません。

本当に感謝しています。ありがとうございました。

まだまだ前途多難だと思います。しかし、何事にも屈することなく、進んで行きます。

若者がキラキラしている姿を見せつけます!!これからも見守ってください。

フランスが故郷なんて驚きました 里帰り楽しんでくださいね!

原町高校・沼能奈津子