いわき市

第420話  ⑥佐藤紫華子さん

 
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原発事故の為、富岡町からいわき市四倉に移り住んでいる、佐藤紫華子(しげこ)さん85歳を訪ねた。

佐藤さんが出版した反原発詩集が大きな話題となっている。女優の吉永小百合さんも好んでその詩を朗読している。

富岡町の自宅に帰る度に、荒れて朽ち果てていく現状を目の当たりにして佐藤さんは戻らない決心をした。

いわき市四倉に家を建て、90歳のご主人と暮らしている。

「あれから2年2ヶ月で、警戒区域にある家がこんなにも荒れて住めなくなるということを国も基礎自治体も全く分かっていない。除染したら帰れる、なんてそんな生易しいものじゃない」と佐藤さんは玄葉さんに、不満をぶつけた。

「私も5月20日に、富岡町の住宅の現状を見てきましたが、それは酷いものでした。新聞やテレビ、ラジオで伝わらない悪臭に驚きました。どこの住宅 も、ネズミの糞や死骸に立ち入りを阻まれました。これでは簡単には帰れないと思いました。中間貯蔵施設の場所も決まっていませんし。問題は山積していますが、前を向いて頑張って行きましょう」と玄葉さんは語った。

佐藤さんは納得の表情は見せなかった。そして言った。

「政治家はもっと現場に足を運びなさい」。

玄葉さんは大きく頷いた。

「原発難民」佐藤紫華子

仕事がありますよ
お金を澤山あげますよ

甘い言葉にのせられて
自分の墓穴を掘るために
夢中になって働いてきて
原発景気をつくった
あの頃・・・・・

人間が年を取ると同じように、機械も年を取るということを、考えもしなかった、技術者たち!
ましてや
大地震、大津波に
襲 われるとは・・・・・

地震国であり
火山国であるという
基本的なことを
忘れてしまった国の末路か・・・・・

私たちは
どこまで逃げれば
いいのだろうか
追いかけてくる放射能
行く手を阻む線量

見えない恐怖!
匂わないもどかしさ!
聞こえない焦立たしさ!

私たちは
安住の地を求めて
どこまで
いつまで
さすらうのだろうか

第419話  ⑤いわき海星高校

 
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いわき海星高校。

県内の高校で、唯一津波の被害を受けた、県立いわき海星高校で3年生4人に将来の夢を聞いた。

マイクを向けたのは、①大内真奈美さん②高橋純香さん③大木将太くん④井上恭兵くんの4人。

大内さんは歯科衛生士、高橋さんは通信技術を活かした仕事、大木くんは人を笑顔にできる仕事、井上くんは船に乗って、いわき海星高校で学んだ事を活かしたいと、将来の夢を語ってくれた。

いわき海星高校は、津波で2名の生徒が亡くなった。

その霊を慰めようと、生徒有志で「チームじゃんがら」を結成、震災の年の夏から各地で披露している。

この日話を聞いた、大内真奈美さんと高橋純香さんは「チームじゃんがら」のメンバー。

「震災後、私達のじゃんがらを泣きながら見てくれたお年寄りがたくさんいました。踊った後に、『ありがとう、供養になりまし た』という声を聞いて、これからも続けようと決めました」と高橋純香さんは話してくれた。

9月21日(土曜日)、郡山の磐梯熱海町で行われる障害者の全国大会「第36回きょうされん全国大会」のオープニングで、いわき海星高校「チームじゃんがら」による「じゃんがら念仏踊り」が披露される。

第418話  ④小名浜高校

 
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いわき海星高校に向かう途中、県立小名浜高校の五輪美智子校長先生を訪ねた。

震災時、五輪先生は玄葉光一郎議員の母校、安積高校の教頭を務めていた。

五輪先生のモットーは「教育は誰の為、生徒の為でしょう!」。

高校生が大好きで、生徒の為に今何をすべきかを最優先に考え、実行している。

「福島県の復興を担うのは若者達。その若者達の為に今一番必要なのが教育と医療の充実。今やらないで、いつやるの」と五輪先生。

「はい、今です」。と玄葉さんも答えるのがやっとだった。

第417話  ③鈴木姫花さんに

 
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いわき市では、小学生2名が津波の犠牲となった。2人とも豊間小学校の児童だった。

小学校4年生だった鈴木姫花さん(10)は、絵を描くのが大好きだった。小学校3年生の時に描いた灯台の絵が、大きな賞を頂いた。黄色い空に真っ赤な太陽、一羽のカモメが大空を舞う姿は、命の輝きに溢れている。

姫花さんの将来の夢は、デザイナーになる事だった。その夢は震災によって絶ちきられた。

姫花さんは、大好きだったおばあちゃんと一緒に津波に流された。

玄葉さんと姫花さんの父、鈴木貴さんに会った。姫花さんが最期にいたのは貴さんの実家だった。
2人は線香を手向け、手を合わせた。

基礎しか残っていない家の入り口には、ブロックで「HIMEKA 」と描かれている。

「天国の姫ちゃんに見えるように」と父、貴さんは話してくれた。

震災後、車で5分の高台に貴さんは自宅を建てた。どうしても、姫花さんが最期にいた場所から離れられなかったから。

自宅2階には姫花さんの部屋がある。

そこにはオシャレした姫花さんの写真と、描きためた絵が置かれている。

「家族の為にも苦しみを乗り越えて頑張ってください」。

玄葉さんから貴さんへの、これがやっとの言葉だった。

震災から2年2ヶ月が過ぎたが、家族を亡くした人達に節目はくるのだろうか。

貴さんは姫花さんが生きてきた証を残すために、灯台の絵をハンカチにした。

売上は全ていわき市に寄附 され、災害遺児の為に使われる。

昨年12月に1回目の寄附をしたが、間もなく2回目の寄附を行う予定だという。

「姫花や母を助けられなかった事は今も悔やまれます。でも、後ろばかりを向いてはいられません。泣いても叫んでも、戻ってこないのですから、だったらできるだけ、笑顔で前を向いて頑張って行きます」と語ってくれた。

貴さんと玄葉さんはかたく握手を交わして別れた。

第416話  ②民宿鈴亀さんひ、

 
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震災の年の10月に営業を再開した、薄磯にある民宿鈴亀。

ご主人の鈴木幸長さんを元外務大臣の玄葉光一郎衆議院議員(福島県三区選出)と訪ねた。

民宿の建物一階まで、津波が押し寄せ、必死で屋上に避難したと、幸長さんは当時の事を振り返った。

民宿の前にある豊間中学校の体育館に入り、当時出席していた卒業式や壊れたピアノの復活物語を聞いた。

幸長さんは薄磯地区の観光協会組合長として卒業式に出席、その3時間後に大津波が薄磯を襲った。幸い生徒に被害はなかったが、多くの住民が犠牲となった。自衛隊による遺体身元確認作業に立ち合った幸長さんは、40人を越える身元を確認した。皆、顔見知りだった。

体育館のステージに転がっていた瓦礫寸前だったピ アノを、2万個にも及ぶ部品の取り替え作業の結果、甦らせた奇跡のピアノの話を聞いた玄葉さんは「 壊れたピアノが、豊間中学校の復興のシンボルとなった事に感動しました。この豊間中のピアノが震災の記憶を後世に伝えてくれる事を願っています」と語った。

鈴木幸長さんによると、豊間中学校周辺はハマナスの群生地。

震災後、新芽を取って民宿入り口の花壇にさした。

震災の年は全く咲かなかった花が、昨年は5輪、今年は数えきれないほどの花を咲かせている。

幸長さんは、「萎えた気持ちを、ハマナスの花達が奮い立たせてくれた。この花と共に、薄磯を復興させて行きますよ」と笑顔で語った。