いわき市
★友人の高校教師から聞いた話。
県高校文化祭が11月9日、いわき市で開催された。
テーマは「蘇れ、我らが故郷、咲かせよう文化の華」。
高校生自らの脚本・演出で上演された劇「アトミック三姉妹」が好評だった。
極悪非道な女子高生三姉妹「α、β、γ」が、屈強な男子高校生をボコボコにする。
やられた男子高校生に友人が聞いた「アトミック三姉妹はどのくらい強かった?」。
被害者の男子高校生が答えた「100ミリシーベルトくらい強かった!」。
友人の高校教師が言った「放射線で苦しむ福島の現状を、笑いやユーモアに変えて乗り越えようとしている高校生の姿に逞しさを感じた。そこには今、大人が学ぶべきメッセージが込めらていた」と。
2012年11月16日 |
いわき市
津波で亡くなった豊間小学校4年生、鈴木姫花(ひめか)さんの「虹」の絵です。
色彩感覚に溢れ、力強い生命力を感じます。
姫花ちゃんのお父さんは毎日、姫花ちゃんが最期にいた場所に足を運び花を手向け、手を合わせます。
そして言います。
「姫花、助けてあげられなくて、ごめんね」
この震災で子供を亡くした親御さんは、必ず自分を責めます。
「私は子供を救えなかった無力な親ですから」
まもなく震災から1年8ヶ月。
遺族の悲しみは、続きます。
★姫花ちゃんの絵がハンカチになりました。
一枚800円です。売上は全額いわき市に寄付し、災害遺児の為に使われます。
全国のきょされんの仲間にもこの事実を知って頂き、協力をお願いします。
姫花ちゃんのハンカチについて詳しくは、フォトジャーナリスト・高橋智裕さんのホームページをご覧下さい。
2012年11月5日 |
いわき市
いわき市の沿岸部、薄磯・豊間地区を友人のフォトジャーナリスト・高橋智裕さんと訪ねました。
風が強かったものの、青空と海の碧さが、心を癒してくれました。
基礎しか残っていない家ばかりですが、綺麗な花と可愛いいキャラクター人形が手向けられている場所がありました。
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北を襲いました。
その40分後、豊間、薄磯地区に13メートルの津波が押し寄せました。
豊間中学校の体育館の時計は、3時28分で止まっています。
この地区では、100人が亡くなり、今も10人が行方不明となっています。
いわき市では津波で、小学生が二人犠牲になりました。
二人とも、豊間小学校に通っていました。
小学校4年生の鈴木姫花(ひめか)さん(当時10歳)は、花が手向けてあるお父さんの実家で、津波にのまれました。大好きなおばあちゃんと一緒に。
鈴木姫花ちゃんは、絵を描くのが大好きで、小さい頃から沢山のコンクールに入賞していました。
「10年後の自分へ」という作文には、デザイナーになりたいという夢が綴られていました。
姫花ちゃんの夢は、東日本大震災によって絶たれてしまいました。
でも、両親や多くの人の思いが支援をよび、姫花ちゃんの絵がハンカチになりました。
この絵は、姫花ちゃんが小学校3年生の時に描いたもので、故郷の「塩屋崎灯台」をモチーフに、明るい色使いが印象的です。
幼い頃から素晴らしい色彩感覚を持っていた姫花ちゃんの絵は、生きる希望にみちあふれています。
姫花ちゃんのハンカチに興味のある方は、フォトジャーナリスト・高橋智裕さんのホームページをご覧下さい。
ハンカチの売り上げは全て、災害遺児の為に使われます。
「きょうされん全国大会」を成功させましょう。
鈴木姫花ちゃんが津波で流された、お父さんの実家です。
基礎しか残っていません。
高台に見える神社が明神様(薄井神社)です。
多くの住民がこの神社に逃げて助かりました。
家の基礎の前には姫花ちゃんのお父さんが、残ったブロックで「HIMEKA 」と作りました。
天国から見えるように。
毎日ここに来て手を合わせてお父さんの貴さんは言います。
「姫花、助けてあげられなくて、ごめんね」
すると姫花ちゃんの声が聞こえます。
「パパ、頑張ってね」
その声を聞いて、貴さんは頑張っています。
2012年11月2日 |
いわき市
29日の「月曜Monday 夜はこれから」で紹介する、被災した豊間中のピアノの物語です。
★2011年3月11日午前、いわき市薄磯の豊間中学校では卒業式が行われ、47人が巣立って行った。
その3時間後、大津波が学校を襲った。
時計の針は、3時28分で止まっている。
幸い生徒に被害はなかったが、薄磯地区は100人が亡くなり、10人が行方不明となっている。
5月14日、福岡県小郡駐屯地の陸上自衛隊員40人が 豊間中学校体育館に入った。
全ての瓦礫を撤去する為に。
自衛隊は、膝まであった瓦礫と砂を4日間かけて撤去した。
床を瓦礫の中から見つけたモップと、自分達のペットボトルの水を使って、ピカピカに磨きあげた。
ステージ上には、津波の被害を受け横転したグラウンドピアノがあった。
指揮をとっていた山口勇3等陸佐が言った「このグラウンドピアノを体育館の中央に運ぼう」
ピアノを見た山口勇3等陸佐は、「このピアノは豊間中学校の復興のシンボルになる」と直感したという。
山口勇3等陸佐の指示を受け、自衛隊員によりピアノは丁寧に体育館中央に運ばれた。
豊間中学校の復興を願って。
自衛隊の善意を知った豊間中PTA が動いた。
昨年5月20日、体育館に学校関係者300人が集まり、このピアノで校歌を歌い学校に別れを告げた。
その後ピアノは一人ぼっちになっていた。
「ピアノを瓦礫にしたくない」
いわき市の調律師・遠藤洋さんがピアノの修理をかってでた。
市教育委員会、学校、寄贈者の了解を得て、8月1日、ピアノを体育館から運び出した。
その後、1万個にも及ぶ部品の修理が、半年間続いた。
震災から1年経った3月11日、豊間中学校の生徒がこのピアノで校歌を歌った。
本当にピアノが甦った瞬間だった。
自衛隊の山口勇3等陸佐は、ラジオ福島のホームページで、ピアノの復活を知った。
嬉しくて胸が熱くなった。
そしてこの9月、横浜高島屋で行われた「大東北物産展」の会場で、調律師の遠藤洋さんと自衛隊の山口勇3等陸佐が対面した。
2人は、黙ったまま力強く握手を交わした。
「奇跡のピアノ」は今、復興・復旧のシンボルとして日本中に被災地の喜びや悲しみを伝えている。
ピアノを瓦礫にしなかった2人の男に心から感謝したい。
月曜日の夜7時から放送する「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから)は、ユーストリームを通して、音声と影像を世界中に発信。
県外の方は、パソコンかスマホでお聴きを。
月曜Monday 夜はこれから(10月29日)
http://www.ustream.tv/recorded/26517280
2012年10月26日 |
いわき市, 月曜Monday
「さとうきび畑こんさあとin いわき」
★「ざわわ、ざわわ、ざわわ」でお馴染みの反戦歌「さとうきび畑」を歌うソプラノ歌手、寺島夕紗子さんと豊間中の「軌跡のピアノ」のコンサートが、10月13日(土曜日)午後5時から、いわき市小名浜大原の「イタリアンレストランdon 3」で行われた。
ゲストシンガーのソプラノ歌手・寺島夕紗子さんの亡くなったお父様(寺島尚彦氏)が「さとうきび畑」を作詞・作曲した。
沖縄本土復帰から40年の今年4月、寺島夕紗子さんは米軍が最初に上陸した激戦の地、沖縄県読谷村(よみたんそん)に「さとうきび畑」の歌碑を建立した。
平和への願いを込めて
寺島夕紗子さんに、いわき市薄磯の豊間中学校の軌跡のピアノの話をしたところ、「ぜひそのピアノで歌わせてほしい」との申し出があり、今回のコンサートが実現した。
会場のレストランdon 3には、豊間中のピアノに縁のある50人が無料招待され、寺島夕紗子さんの澄んだ伸びやかな歌声と、調律師の遠藤洋さんが懸命に復活させた豊間中のピアノのコラボレーションを満喫した。
また、寺島夕紗子さんのコンサートの前には、今年豊間中学校を卒業した5人の高校生と在校生、かつて豊間中に在任していた2人の教師の8人が豊間中の校歌を歌った。
奇跡のピアノで歌った寺島夕紗子さんは、「このピアノの生命力の強さに感動しました。ピアノを修理した調律師の遠藤洋さんに心から感謝するとともに、これからもこのピアノが多くのアーティストの演奏を通し、復興へのメロディーを奏でてくれる事を願っています」と語った。
★豊間中前生徒会長で、いわき光洋高校1年生の吉田碧葉さんは「久し振りにピアノに会えて嬉しかった。また、仲間と先生と校歌が歌えて、ちょっぴり涙が出た。ピアノを見て、辛かったあの頃を思い出したけど、仲間が皆な元気に頑張っているんで、私も頑張ろうと思った」と話してくれた。
碧葉さんの将来の夢は看護師になること。
震災直後、傷ついた人を見て、医療行為の手伝いが出来なかった自分が情けなかったという。
碧葉さんは震災から復活した母校のピアノに手を置いて、自らの夢の実現を誓っていた。
当日のコンサートの模様は、10月29日(月曜日)午後7時から放送の「月曜Monday (もんだい)夜はこれから」で放送する予定。
月曜日の夜7時から放送する「月曜Monday ( もんだい)夜はこれから)は、ユーストリームを通して、音声と影像を世界中に発信。
県外の方は、パソコンかスマホでお聴きを。
月曜Monday 夜はこれから(10月29日)
http://www.ustream.tv/recorded/26517280
2012年10月21日 |
いわき市, 月曜Monday
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