いわき市

姫花ちゃんの原画展

 

★津波で亡くなったいわき市薄磯の鈴木姫花さん(10)は、絵を描くのが大好きだった。将来はデザイナーになるのが夢だった。その夢は震災によって断ち切られた。

 

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原画展
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姫花さんが小学校3年生の時に描いた灯台の絵が、大きな賞に輝いた。

2009年11月1日(灯台の日)に自宅近くの塩屋埼灯台で表彰を受けた。

黄色の空に真っ赤な太陽。大空に舞う一羽のカモメは生きる希望に満ち溢れている。

この絵を父の貴さんがハンカチにした。姫花さんの生きた証を残すために。

姫花さんが最期にいた場所に、貴さんは残ったブロックで「HIMEKA 」と描いた。天国の愛娘から見えるように。

★2月3日(日曜日)から9日(土曜日)の1週間、福島市のこむこむで、姫花さんの原画展が開催される。

姫花さんの原画が自宅を出て、展示されるのは初めて。ご両親に感謝するとともに、この機会に、色彩感覚豊かな姫花さんの絵を、ぜひ、見て欲しい。

また、9日(土曜日)午後2時から、フォトジャーナリストの高橋智裕さんとの大和田新のミニ講演会が行われる。

①写真は、姫花さんの部屋。お洒落した姫花さんが微笑む。

②ハンカチになった灯台の絵。

③姫花さんが最期にいた場所。HIMEKA の文字が哀しみを誘う。

第189話 難病を乗り越えて

 

難病を乗り越えて
 

★2月16日(土曜日)正午から、いわき市小名浜大原のイタリアンレストラン「don 3」で、難病と闘う矢萩淳さん(41)のテノールチャリティーコンサートが開かれる。

矢萩淳さんはいわき市小名浜出身。磐城高校から国立音楽大学に進み、現在は東京都西多摩郡檜原村(ひのはら)の檜原中学校(全校生徒50人)で音楽教師を勤める。

★矢萩淳さんはこれまで2回、ゴルフスイング中にあばら骨を骨折した。

病院で精密検査を受けると、「多発性骨髄腫」と診断された。

しばらくは、何も出来なかった。

将来への希望を見失っていた時に出会ったのが、同じくガンと闘っていた本田武久さんの歌だった。

昨年11月に亡くなった本田武久さんの、最期まで生きる事をあきらめない前向きな姿に感動した矢萩さんは、本田武久さんが愛した店「don 3」で、自らを励まし、お世話になった方々への感謝の気持ちを歌に込めてコンサートを開催する。

今朝(1月26日)、矢萩淳さんに電話で番組に出演してもらった。矢萩さんは「私の体調は今、ガンの再発待ちです。でも怖がっていたり、悲しんでいる暇はありません。1度本田武久さんにお会いした時に、本田さんから一緒に頑張りましょうと言われました。『歌うことは生きる事』を忘れずに精一杯頑張ります」と明るく語ってくれた。

don 3でのコンサートの成功を心から願わずにはいられない。

★写真は、don 3で歌う本田武久さんの在りし日の姿。

第187話 春選抜

 
★春選抜高校野球、聖光学院高校と21世紀枠 でいわき海星高校の県内2校が選ばれました。
 
春選抜
 
写真は、校長先生から選抜出場の報を聞いて、飛び上がって喜ぶ、聖光学院高校野球の1・2年生の部員です。

聖光学院高校野球部の斎藤智也監督は、「2年生は震災の時は中学3年生でした。放射能の問題で入学をためらった生徒が沢山いたはずです。心配する親を説得して、聖光学院高校野球部に来てくれた彼らの期待に、今度は我々スタッフが応える番です」と話してくれました。

★いわき海星高校は、県内で唯一津波の被害を受けた高校です。生徒も2名犠牲になりました。

校舎の一階と体育館な今も使えず、グラウンドも津波の砂に覆われたままになっています。

21世紀枠での出場が決まった瞬間、電話口の沢尻校長は言いました。
「ありがとうございます。子供達が 夢を諦めず未来を見つめて頑張ってきた結果です。全国の皆さんからの支援に対して、感謝の気持ちを持って甲子園に臨みます」と。

16人の部員と2人の女子マネージャーは、心を込めて、監督、部長、校長を胴上げし、喜びを爆発させていました。

第161話 あしながおじさん

 
いわき市立藤間中の古山校長からメールが届きました。
 

タイトルは「あしながおじさん、ありがとう」。

毎年匿名の方から、綺麗なシクラメンとシンビジュウムが全クラス分届くそうです。

今年もまた、今日届きました。添えられていた手紙には、「震災を乗り越えて頑張っているあなた達を誇りに思います」と丁寧な文字で書かれていました。

古山校長には、「この子供達の為に、教職員はしっかり頑張りなさい」というメッセージに感じたそうです。

地域で見守り、地域で育てる。子供達の未来を預かる学校の責任の重さを実感したメールでした。

いじめや体罰を見過ごすなんて、論外です。

 

第155話 普通の難しさ

 
いわき市の沿岸部、薄磯地区。110人が亡くなり、未だ10人が行方不明。
 

津波の犠牲になった、豊間小学校4年生の鈴木姫花(ひめか)ちゃんが震災から一週間後に遺体で見つかった豊間海岸では、多くの若者が、サーフィンをやっていた。

被災地が、震災前の普通の光景にもどることの難しさと残酷さを痛感した。

どれだけのサーファーが、海に入る前に、手を合わせ、黙祷しているのだろうか。

それは、我々マスコミの取材の仕方にも、言える事だが。