第288話 海星ナインへエール
震災当時、いわき海星高校の校長を勤めていた、箱崎温夫さんから、いわき海星高校野球部へエールが届きました。
若さは無限の可能性を持っている。
夢を持ち、ひたむきに取り組んでいくと、若さはそれらを次々と現実のものにしていく。
君たちの刻々と成長する姿に元気をもらい、心からありがとう。
長い人生のワンステージ、感謝の心を忘れず、そして存分に甲子園の空気を楽しんで来い。
前いわき海星高校校長
箱崎温夫
2013年3月22日 | いわき市
いわき市
震災当時、いわき海星高校の校長を勤めていた、箱崎温夫さんから、いわき海星高校野球部へエールが届きました。
若さは無限の可能性を持っている。
夢を持ち、ひたむきに取り組んでいくと、若さはそれらを次々と現実のものにしていく。
君たちの刻々と成長する姿に元気をもらい、心からありがとう。
長い人生のワンステージ、感謝の心を忘れず、そして存分に甲子園の空気を楽しんで来い。
前いわき海星高校校長
箱崎温夫
2013年3月22日 | いわき市
明日は、甲子園球場に、いわき海星高校と聖光学院高校が登場します。
震災時、いわき海星高校の生徒会長だった高橋裕基くん(大学2年生)からのメールを転送します。
高橋くんは、いわき海星高校野球部のエースでした。
大和田さん、おはようございます!
野球部にエールを送ります。
高校野球をやっている人ならだれでも行きたい甲子園という夢舞台にいわき海星高校が出場できることを、本当に嬉しくおもいます。
こうして、いわき海星高校が甲子園に出場できた背景には、たくさんの方々からの支援やご協力があったからだと、心から感謝しています。
今思うと、あの震災があった時には、もう野球できないと思いました。
グラウンドは、瓦礫でいっぱい道具は流され、そして、最悪の原発問題。
しかし、各地の高校野球部からの支援や、全国のたくさんの方々からの支援により、部活を再会することができました。
いくら感謝の言葉を言 っても言い尽くせない、たくさんの支援があり、今の海星があります。
本当に、ありがとうございます!
この場をかりて、心からお礼申し上げます。
今日のライバルは明日の友達、野球を通してそれを実感しました!
いわき海星高校にはそういったたくさんの人への感謝の気持ちを持って、一球一球大切にプレーしてほしいです。
また被災者の方々に対して、1人でも多くの人に頑張ってる姿を見て頂き、いわき海星の野球部が頑張ってるんだから、私も頑張ろうと思われるような、全力プレーをしてもらいたいと、願っています。
頑張れいわき海星高校!そして、頑張れ聖光学院高校!
甲子園のスタンドで応援できる事に感謝しながら、声援を送ります。
高橋裕基
2013年3月22日 | いわき市
2011年12月12日(月曜日)。
カンニング竹山さんといわき市沿岸部を回った。
県内の高校で唯一、津波の被害を受けた、いわき海星高校を訪ねた。
津波で破壊された武道場を使い、師走の冷たい風の中、いわき海星高校の有志が「じゃんがら念仏躍り」を披露してくれた。
いわき海星高校では2人の生徒が津波の犠牲になった。
2人とも家族を助けに戻って、津波に流された。
当時の生徒会長の高橋裕基くんが中心となり、友への鎮魂といわきの復興を願って「チームじゃんがら」を結成した。
高橋裕基くんは野球部のエースとして活躍していたが、野球道具は全て流された。
「もう、野球は出来ないと思った」と高橋 くんは当時を振り返る。
震災直後、全国から支援物資が届けられた。
夏の大会に間に合った。
しかし、津波で瓦礫に埋もれたグラウンドは最近まで使用できなかった。
震災による不自由な活動を乗り越え、いわき海星高校は春選抜に出場する。
部員16名が、被災地の夢と希望を背負って、甲子園で堂々と闘う。
頑張れ、いわき海星高校野球部!
「後輩達が夢の舞台に立てる事で胸がいっぱいです。東北の被災地に元気を与えられるような、ハツラツとしたプレーを期待してます」と大学2年生になった高橋裕基くんは話してくれた。
2013年3月10日 | いわき市
風の強い、いわき市薄磯の朝。
塩屋崎灯台が、土台だけになったこの地区の、進まぬ復興を見つめている。
観光バスが、目の前を通り過ぎて行く。 満員のお客さんを乗せて。
車窓からこの景色がどのように見えているのだろうか。
「薄磯では100人が津波で亡くなり、今も10人が行方不明になっています。ここは観光地でありながら最大の被災地の一つです。どうか、手を合わせ下さい」。
そんなアナウンスが流れていることを、心から期待する。
観光地としての宿命。
観光バスは復旧の第1歩だから歓迎しなくては。
でも。
この薄磯に、いつ来ても、綺麗な花が手向けられている場所がある。
観光バスからも見えるはずだ。
その花が何を意味するか、誰かが伝えなければ、震災は風化していく。
間もなく震災から2年。
家族を失った遺族に節目など無い。
2013年2月23日 | いわき市
関西大学大学院の学生さんからのメールを転送します。
大和田 新 様
お世話になっております。関西大学の藤澤です。
私はいま、福島県主催の「関西・ふくしま大学生交流事業」で、いわきに来ています。
今日は、「いわきら・ら・ミュウ」や薄磯の土産物店「山六観光本店」に行きました。(塩屋崎灯台下)
「ら・ら・ミュウ」2階の震災関係展に、フォトジャーナリストの高橋智裕さんの「笑顔」の写真もありました。
山六観光本店では、津波で亡くなった鈴木姫花ちゃんのハンカチを買う事が出来ました。
とっても素敵な柄で、最高のお土産です。
山六観光での自由行動時間に、他学部の友人と豊間中に行きました。
校庭の瓦礫の山と、対照的に残る校章と校訓の碑を見て彼女が、『おかしいよね…もし卒業生が見たら…どう思 うかな』と
話してくれたのが印象的でした。
いずれも、事前に大和田さんから教えて頂いていたからです。
いつも、本当にありがとうございます。