いわき市

第401話  小名浜高校

 

 
昨日、小名浜高校の五輪校長から電話ありました。

廃部同然になっていたフラガール同好会に二名入り、計3人になったとのこと、3人はメチャメチャ下手ですが、踊ってもいいですか?

そこには、メールでは語り尽くせない、涙のドラマがあります。

きょうされんの皆さんも、彼女達の懸命な思いを、理解し共有してください。

頼んだら、後は、大丈夫ではありません。

このドラマは、おって、紹介します。

27日に、いわき海星高校のじゃんがらチームに挨拶に行きます。

第397話  浜風笑店街

 
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いわき市北部の久之浜町。

津波と火災、原発事故による風評被害で、大きな被害を受けた。

海岸から西へ1キロ。小学校の校庭の片隅にあるプレハブ2棟の商店街か
らは、いつも笑顔と笑い声が溢れている。

それが、久之浜の復興のシンボル「浜風商店街」。

震災の年の9月3日にオープンし、10店舗が肩を寄せあって生きてきた。

中心はやはり、店を切り盛りする女性達。

この日は、明日全国から来る200人の視察団を迎える為に、味噌田楽作りに励んでいた。

常に、笑顔で、ウェルカム。

これが、「浜風(笑)店街」のモットーだ。

隣では、石井魚店の息子さんが、 カワハギとカレイの干物を作りながら言った。

「早く、久之浜の魚で、旨い干物を作りたいね。でも、仕事が出きる事が、一番幸せかな」と。

第396話  薄磯海岸

 
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いわき市で津波の被害が最も大きかった薄磯地区。

海岸から200メートルの豊間中学校の体育館の時計は、3時28分で止まっている。

薄磯地区で唯一営業を再開した民宿「鈴亀」の鈴木幸長さんは、震災後、瓦礫の下から見つけたハマナスの新芽を門の前の花壇にさした。

震災の年には一輪も咲かなかったハマナスの花。

しかし、昨年は花を五輪咲かせた。

そして今年は、写真のように多くの花が咲いた。

それは未来への「希望の華」だった。

幸長さんは言う。「萎えた心を励ましてくれたハマナスの花に感謝している。薄磯の灯りを消さないためにも、もう一息頑張ろうと思っている」と。

鈴亀から車で1分。津波で亡くなった鈴木姫花さん(当時10歳)が最後にいた場所には、今日も綺麗な花が手向けられていた。

この日は父・貴さんがテレビ局に取材されている姿があった。

姫花ちゃんの事を、マイクの前で話せるようになった貴さんの気持ちの変化に、少し嬉しくなった。

第395話  豊間海岸

 
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快晴のいわき市豊間海岸。

気持ちの良い潮風が全身を包む。

白亜の塩屋埼灯台が、哀しそうに、海を睨んでいる。

津波の跡は今も消えない。あれから2年2ヶ月も過ぎたのに、新しく手向けられた花が、家族を失った悲しみが癒えない事を教えてくれた。

「私達は必ずまた立ち上がる」そんなメッセージに復興への決意を感じた。

海岸では何事も無かったかのようにサーファーが波と戯れていた。

地元いわきのサーファーだった。

「海に入る前には必ず、海に手を合わせています」

その一言に救われた。

第372話  小高商業高校3年松本有香さん

 

 
県立小高商業高校3年生の松本有香さん(商業研究部部長・小高だいこんかりんとう販売責任者)から送られてきた、相馬東高校講演会の感想文を読んでの感想です。

「すごく皆の思いが伝わってきました。私も津波が来た瞬間を目撃しました。

それと同時に、父が津波に流されたことが嫌でも分かりました。小高い山の上で泣き叫んだのを今でも覚えています。

父は享年46歳でした。幸い直ぐに発見されました。

当時は私もすごく泣きました。でも、今はもう涙は流しません。強く生きています。

震災なんかに負けません。みんなを笑顔にする仕事に就きたいです。人を助 けたいです!」

☆友香さんの夢は、看護師になることです。