飯館村
全村避難の飯舘村の、福島市松川仮設住宅の責任者の60代の女性が、大腸癌になり手術します。
彼女は「仮設住宅から孤独死を出させない」をモットーに、高齢者の心身のケアに懸命に取り組んできました。
雨の日も雪の日も、独り暮らしのお年寄りの仮設を回り、声をかけ続けていました。
故郷へ帰れない不安とストレスから、自暴自棄に陥る高齢者を、誠心誠意支え「仮設の母」と呼ばれていた彼女の 肉体を癌が蝕んでいたのが分かったのは、5月初旬の事でした。
彼女の癌の原因は、飯舘村の住民が抱えているストレスそのものだと思えてなりません。
2013年7月25日 |
飯館村
①堀潤さんと取材
元NHK アナウンサーでジャーナリストの堀潤さんと一緒に、被災地を訪ねた。
福島市から川俣町を経由して全村避難となっている飯舘村へ。
除染も終わり、敷地内のアスファルトブロックの埋設も完了した役場前。
そこには大きな線量計が置かれている。放射線量は、毎時0・63マイクロシーベルト。
福島駅前の3倍の値だ。
堀潤さんは、頭を撫でると村民歌が流れるお地蔵様の前に立ち、何度も歌を聴いていた。
子供達の歌声「村を起こさん、村を富まさん」が周囲にこだました。
堀潤さんは言った「海から何十キロも離れている飯舘村が、原発事故の影響で全村避難となっている現状に、怒りと悲しみが込み上げてきます」と。
役場前は雑草に覆われた陸上競技場。
堀潤さんはいつまでも立ち尽くしていた。
2013年6月26日 |
飯館村
飯舘村の八巻教育長から、happyNewSです。八巻さんは震災時は原町高校校長でした。
★☆★☆
嬉しいニュースです。
飯舘中学校、特設陸上部で3人の県大会出場決める。
震災後、初出場、初出場、初進出。
ご声援ありがとうございます。
2013年5月22日 |
飯館村
2013年4月1日(月曜日)。レポート①
全村避難の飯舘村。
役場前では、懸命の除染作業が行われていた。
そこには「飯舘村に帰る」という菅野村長の強いメッセージが感じられる。
役場裏の空き地には、積み上げられた汚染土が。
放射線量は、毎時2・1マイクロシーベルトをさしていた。
除染した後の土や木などの仮置き場をどうするか。
行政と住民との調整が続く。
昨日、震災時に県立原町高校校長だった八巻義徳さんから嬉しいメールがきた。
そこには、
「この度、飯舘村教育長に就任しました。宜しくお願い致します」と書かれていた。
八巻義徳さんは、飯舘村出身。原町高校から岩手大学農獣医学部卒。
震災後は、バラバラになりかけた生徒の心に寄り添い、常に生徒の為にをモットーに東奔西走した。
2013年4月3日 |
飯館村
全村避難の飯舘村。
二枚橋公民館前の子供達の声が聞こえない公園。
国が設置した線量計は、0・87マイクロシーベルトを示していた。
除染の進まない飯舘村。
住民の「帰りたい」という願いに、国はどう応えていくのか。
2013年3月17日 |
飯館村
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