双葉町
★原発事故で警戒区域となっている双葉町の井戸川克隆町長は、役場機能が移転している埼玉県加須市での新年挨拶「双葉町の道しるべ」の中で、「町に帰るのは暫定的に30年後」と述べた。
放射性セシウムの半減期が30年だからという理由。
国や東電が帰還時期を明解に示さなかった為に、住民の要望に代わって答えたとも説明。
故郷に帰るのは30年後。70歳の住民は100歳になってしまう。
★リーダーは、国や東電の責任にし、何かをしてくれと言う前に、自ら帰還・復興へのビジョンを示す時ではないだろうか。
双葉町は何処へ行く。
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2013年1月4日 |
双葉町
遥かシベリアから、冬の使者白鳥が阿武隈川に飛来し、市民の心を和ませています。
お疲れでしょう!まあ、一服どうぞと、煙草を差し出したら「スワン」。
中には風邪ぎみの白鳥もいて、くしゃみをしていました。「ハクチョウ!」
まあ、今年も、オヤジギャグ全開で行きます。
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2013年1月4日 |
双葉町
★東日本大震災、県内では5人の警察官が殉職した。
皆、住民の避難誘導中に津波の犠牲となった。
最も若い20代の警察官が未だに発見されていない。
その日、双葉警察署員の増子洋一警部補と佐藤雄太巡査部長は非番だった。
大地震から15分後、署に駆け付けた2人は、パトカーで富岡駅前から沿岸部の住民の避難誘導に向い還らぬ人となった。
2人が乗っていたパトカーは海岸沿いの橋の下で
見つかった。
増子洋一警部補は30キロ沖合いで発見された。
しかし、佐藤雄太巡査部長は未だ行方不明となっている。
★2012年3月11日、双葉警察署富岡分署の庭に桜の苗木が植えられた。
増子洋一警部補と佐藤雄太巡査部長の名前 をとって「洋雄の桜」と名付けられた。
この日、津波で破壊されたパトカーの前で、佐藤雄太巡査部長の慰霊祭が行われた。
弔辞を読んだのは双葉警察署副署長の今野大さん。今野さんは、佐藤雄太巡査部長の警察学校時代の教官。今野副署長の了解を得て、ここに弔辞の全文を掲載する。
「弔辞」
雄太へ
雄太、早く帰ってこい
あれから1年、雄太、今日までよく頑張った。
雄太、もう頑張らなくていいんだ。
佐藤雄太の任務は解除する。
雄太の上司 増子警部補は、我が家に帰って来たよ。
だから雄太、もう頑張らなくていい。
お父さんとお母さんと妹さんが、お前の帰りをどんなに待ちわびているか
わかるな 雄太。
お前は、どこにいるんだ。
どこにいようとも、双葉署員と同期生が必ず見つけ出す。
雄太、今日はな、お前を知っている双葉署員と同期生が、こんなにいっぱい来ているぞ。
見えるか雄太。
雄太の顔を今 思い出している。お前は本当に明るく、ひょうきんで、人なつっこい。誰にでも好かれたな。
上司、先輩には弟のように可愛がられ、一般住民の方にも、直ぐに打ち解け、仲良くなり、行く先々で、みんなに慕われていたな。
それからな雄太、お母さんに聞いたら 女の子に
は、なぜかモテモテだったとか。
早く帰って来い。お父さん、お母さんのところに、早く戻って来い。
雄太、お前は双葉署員の、同期生の、福島県警察官全員の英雄だ。
我々の心の中に、これから先、ずっと生き続けていく。決して忘れない。
雄太、もう頑張らなくていいから、早く帰って来い。
雄太へ
双葉警察署署員一同。
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2012年12月30日 |
双葉町
★原発事故により警戒区域となっている双葉町。
2012年12月26日(水曜日)。
写真①双葉町公民館前。
原発と供に生きてきた双葉町を象徴するかのようなアーチ。
「原子力明るい未来のエネルギー」。
しかしそれは、自民党政権時代に、国策として推し進めてきたもの。安全、安心の名のもとに。安全神話が崩れ去った今も、安倍政権からは反省はあっても、謝罪の声はいっさい聞かれない。
選挙では、「脱・卒・0(ゼロ)」などと、原発事故が弄ばれて終わってしまった。
写真②JR 双葉駅ホーム。
錆びた線路が1年9ヵ月の時の流れを物語る。
近くのアパートのベランダには洗濯物が干したままになっていた。
浪江町や双葉町の住民には、原発事故が起きる前の3月12日朝に、避難指示が一斉に出た。住民は直ぐに戻れると思い、貴重品を持たずサンダルのまま避難した人もいた。
写真③双葉駅の売店に残る2011年3月11の新聞。
警戒区域になっている、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町は震災の日から時間が止まっている。
「復興元年」の掛け声の虚しい1年だった。
★原発事故により12万人が故郷をおわれ、苦しい避難生活を強いられている。ストレスから肥満、高血圧、糖尿病、認知症が進み、将来の不安から自らの命を絶つ人もいる。
被 災3県の中で、震災関連死は福島県が突出して多い。
福島県は「震災関連死」ではなく、「震災原発事故関連死だ!」と、地元新聞社の編集局長が言った。
避難住民、特に一人暮らしの高齢者の体と心のケアが最優先課題となっている。
今年1年、取材していて一番多く聞かれた言葉、
「原発事故さえなかったら」
この言葉が重くのしかかる。
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2012年12月30日 |
双葉町
写真正面が堤防。右手奥には奇跡的に残った神社が見える。
海岸まで距離は300メートル。
壊れた家の回りには、コスモスが風に揺れ、震災から2度目の秋を告げている。
2012年10月16日 |
双葉町
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