双葉町

第574話  希望の牧場

 
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警戒区域で闘い続ける「希望の牧場」を紹介した「原発一揆」を読んだ。

著者の針谷勉(はりがやつとむ)さんは影像ジャーナリスト。

原発一揆の主人公・吉沢正巳さんの助手として牛の世話をしながら取材を続けている。

原発一揆の舞台となった「希望の牧場・ふくしま」は、警戒区域に指定されていた福島県双葉郡浪江町にある牧場。東京電力福島第一原子力発電所から14キロの距離にある。32ヘクタールの土地は、主人公の吉沢正巳さんの父が開拓した。

今、「希望の牧場」には、市場に出回る事のない
360頭の牛が飼育されている。

吉沢さんは「この牛達は、放射能に犯された福島の生き証人。処分するなんて許さない。研究材料として未来の福島に必ず貢献する」と力説する。

動物も人間と同じ命、畜産農家にとっては家族そのもの。

希望の牧場は、時には大きな挫折を乗り越えて尊い命と向きあってきた。

吉沢さんは繰り返す。『原発事故によって警戒区域となった20キロ圏内被ばく家畜は経済的意味を失い、国によって殺処分するよう指示された。1500頭の餓死、1500頭以上の殺処分によって、牛を飼っていた多くの農家は心が折れてしまい、自分の家へ戻る事も出来ずに苦しんでいる。

生き残った700頭の牛達は、原発事故による放射能汚染の事実を記録に残す事と、原発再稼働による「事故を繰り返す時代」への逆戻りに抗議するシンボルとしての意味を持っている』と。

第373話  双葉町警戒区域解除

 

 
☆原発事故後、最後まで警戒区域になっていた双葉町の警戒区域が解除される。

しかし、全体の96%が「帰還困難区域」。ほとんどの住民は帰れない。

双葉町の41歳の建設業の男性は言った「いつ戻れるか分らなければ、前と何も変わらない。『復興』と言う言葉は使わない。全部元に戻るのが『復興』だが、もう事故前の町には戻れない。

今いろいろ決めている政治家や役人は数十年後にはいない。その時に判断するのは、自分だけ」。

双葉町は除染の日程も決まっていない。

第193話 写真展への誘い

 

★2月3日(日曜日)から9日(土曜日)までの1週間、いわき市在住のフォトジャーナリスト・高橋智裕(ともひろ)さん39歳の写真展が、福島市の「こむこむ」1階ホールで開かれる。
 
写真展への誘い
 ①

 
写真展への誘い
 ②

 

高橋智裕さんは震災当時、小名浜港で取材中だった。まさか津波が襲ってくるとは思っていなかった高橋さんを、津波はあっという間にのみ込んだ。地震から30分が過ぎていた。

九死に一生を得た高橋さんは、地元いわきだけでなく、宮城、岩手を始め、相双の沿岸部もくまなく回り、被災者の心に寄り添そいながら写真を撮り続けてきた。

時には、心無いボランティアや、ルールを知らない被災地見学者と口論しながら。

高橋さんがファインダーを通して伝えてきたものは、悲惨な被災地の中に咲く子供達の笑顔だった。

高橋さんは言う「気の遠くなるような歳月の先にある、被災地の復興を担うのは子供達です。その子供達の為に、私達大人が今、何をすべきかをこの笑顔を見て、一緒に考えて行きましょう」と。

高橋智裕さんはこれまでの活動の記録を、2冊の写真集にまとめた。現在、写真展や講演会の依頼も多く、全国を飛び回っている。

このメー ルが皆さんの所に届く頃は、名古屋市での講演会を終え、磐越道をひたすらいわき市に向かって走行中だ。

名古屋市での講演会は、立ち見が出るほどの盛況だった。皆、真剣に話を聞いてくれた。いわき市から避難している人もいた。最後はお互いに「頑張りましょう」と言って握手して別れた。阪神淡路大震災で家族を3人亡くした男性は、「一番怖いのは、震災が忘れられて行く事です」と涙を流した。

★今回の「こむこむ」で行う、高橋さんの写真パネルの横には、特別なコーナーが設けられる。

津波で亡くなった、いわき市立豊間小学校4年・鈴木姫花(ひめか)さんの原画展だ。

姫花さんは、絵を描くのが大好きだった。将来はデザイナーになることを夢見ていた。

2009年 11月1日(灯台の日)には、灯台を描いた絵が入賞し、自宅近くの塩屋埼灯台で表彰を受けている。

色彩感覚豊かな姫花さんは、空を黄色く描いた。真っ赤な太陽に向かって飛ぶ一羽のカモメは、生きる希望にみちあふれている。灯台の展望台には、笑顔の友達が並んでこちらを見ている。

姫花さんの生きてきた証を残すため父・貴(たかし)さんがこの絵をハンカチにした。

一枚800円で販売、売り上げは全ていわき市に贈られ、災害遺児の為に使われる。

当日は、高橋さんの写真集や、姫花さんのハンカチの販売は行わない。興味のある方は、高橋さんのホームページを見て欲しい。

姫花さんの原画が自宅を出るのは初めて。ご両親には心から感謝する。

高橋さんの写真と 合わせて、姫花さんの命の輝きに満ちた絵をじっくりと見て欲しい。

★2月9日(土曜日)午後2時から、高橋智裕さんと大和田新の講演会を会場で行う。テーマは「震災から1年11ヶ月。今、伝えたいこと」。

この震災を風化させない為に、今伝えたい思いが私達にはある。ぜひ、聞いて欲しい。

福島市の「こむこむ」は、JR 福島駅東口から歩いて5分。開館時間は午前9時30分から午後7時まで。火曜日が休館。入場無料。駐車場は無し。

写真①高橋智裕さんとラジオ福島の八木志芳アナウンサー。

写真②津波で亡くなった、鈴木姫花さんのハンカチになった灯台の絵。(原画)

第182話 原発事故さえなかったら

 
★写真は警戒区域の双葉町と富岡町。人影は全く無い。
 

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①公民館前のアーチには、原発と共に生きてきた双葉町の現実があった。「原子力明るい未来のエネルギー」
 

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②JR 双葉駅の改札前のスタンドには、震災当日の2011年3月11日の新聞が残っている。
 

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③富岡町のJR 富岡駅。線路の中には津波で流された車が放置されていた。
 

住民が立ち入る事が出来ない警戒区域(双葉町・浪江町・大熊町・富岡町)はあの日から時間が止まっている。
 

★この1年、被災者の皆さんから聞いた最も多かった言葉は「原発事故さえなかったら」。

昨年1月1日時点の、東日本大震災による県内の死者は1900人。

それが、今年1月20日現在の死者数は3072人。

この1年間で、1100人が亡くなった。

震災関連死は、被災3県の中で福島県が最も多い。

原発事故による無理な避難からくるストレスが、主な原因だ。

長い避難生活による、肥満・高血圧・高血糖・認知症の進行、将来への不安から自ら命を絶つ人もいる。

「原発事故さえなかったら」

この言葉が重くのしかかる。
 

★28日(月曜日)夜7時から放送の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」は、『福島復興本社代表・石崎芳行東電副社長』のインタビューをお聞き頂く。

福島第一原子力発電所の事故の損害賠償や除染等の対応強化を目指す東京電力は、今年1月にJ ヴィレッジに「福島復興本社」を開設した。

代表に就いた石崎芳行東電副社長はこれまで、「賠償、除染についていろいろな要請にお応えする。福島に根を下ろし、全力を尽くす」と抱負を述べている。

また、「取り返しのつかない事故を起こしたが、克服してご恩を返す。『東電魂』を持って責任を果たす」と決意を語った。

番組では、石崎芳行復興本社代表に、事故の当事者としての責任や業務への取り組み、補償や除染、厳しい県民感情へどう向き合っていくかなどを伺う。
 

★28日(月曜日)夜7時から放送の「月曜Monday(もんだい)夜はこれから」は、ユーストリームを通して世界中に音声と影像を発信。

県外の方はパソコンかスマホでどうぞ。
 

『月曜Monday 夜はこれから!』(ラジオ福島)
【ustream】 月曜 19:00~20:50
 http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio
【facebook】
 https://www.facebook.com/Monday1458
  

第160話 双葉高校野球部

 
警戒区域の中にある双葉高校。野球部は夏の甲子園大会に3度出場している名門校。
 

双葉高校野球部は現在部員は5名。これまで連合チームを組んでいた原町高校野球部の部員数は9名。その為、原町高校は単独で試合に挑む事になり、双葉高校野球部との連合チームは解消された。

部員5名の双葉高校はこのままでは、試合に出られない。

しかし、友情の名の下に、明日から双葉高校と原町高校は合同合宿を行う。

原発事故さえなかったら、その言葉が重くのしかかる。