福島市

第498話  福島の現状

 
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自宅の除染が終わりました。

汚染土を入れた白いプラスチックの箱が30個。

庭に人の背丈程の穴を掘って埋めます。

最終処分場、中間貯蔵施設、仮置き場、仮仮置き場も決まっていないので、いつまで自宅に保管しておくのか、期間は未定です。

これが、福島の現状です。30個の箱は少ない方だと、作業員の方は言っていました。

写真の赤い線は、放射線量が高い所です。因みに0・5マイクロシーベルトありました。

結局、再度土を30センチ削って、0・4マイクロシーベルトまで下げましたが、どれだけ意味があるのか疑問です。

そ んな所に1日立っているわけではありませんから。

原発爆発から2年4ヶ月経ちましたが、福島市内でも50マイクロシーベルトを超えるホットスポットが見つかっています。

それが、子供達の通学路や学校の植え込みで見つかっています。

そういった場所の除染こそ、しっかりやってもらいたいものです。

私達福島県民はいつまで、見えない放射線に悩まされながら、生きていかなければならないのでしょう。

東京電力福島第一原子力発電所の事故も収束せず、事故原因も究明されていないのに、政府自民党は原発再稼働に向けて大きく舵をきろうとしています。

それどころか、原発の海外輸出も視野に入れて動き始めました。

どこか末恐ろしさを感じています。

第496話  除染の後に

 
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ご近所のお年寄り達が、たんせい込めて作った自慢の花壇。

除染の名のもとに、更地になって半年。

また、地域を花で飾りたいという熱血お年寄り軍団によって、このたび一部ではあるが、花壇が見事に復活した。

その中には、夏の花に混ざって秋桜も咲いていた。

地域のお年寄り達の頑張りに感謝、感謝、感謝。

猛暑の中、ありがとうございます。

第493話  誰の為の除染

 
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猛暑の中、連日除染作業が続いている福島市。

作業員の皆さんの健康管理は十分なのだろうか。

いよいよ今週末、自宅庭の除染作業に入る。

この団地の除染は当初の予定では、今年3月中だった。

「作業員の不足から遅れた」と、福島市の担当者から説明があったのは、6月になってからだった。

自宅庭の放射染量は0・18マイクロシーベルト。国が除染の目安としている年間1ミリシーベルトの規準となる、毎時0・23マイクロシーベルトを大幅に下回っている。

除染の必要があるのか悩むところだが、震災時は12マイクロシーベルトあった事を考えると、今さら感が強くなる。

2年4ヶ月経って、やっと始まる除染。誰の為の除染なのか。

除染して剥ぎ取られた汚染土は、白いプラスチックケースに入れられ自宅庭に埋めるか、一ヶ所に集められ青いビニールシートに覆われるだけだ。

自宅での保管期限は決まっていない。

除染 ではなく、移染に過ぎないと住民は言う。

原発事故で出た瓦礫や汚染土の最終処分場、中間貯蔵施設、仮置場、仮々置場も決まっていない為に、自宅庭に置かざるをえない現状に、改めて国や県、基礎自治体の無策に不信感がつのる。

果てしない除染作業は、いったい誰の為のものなのか。

第467話  説明会

 

 
友人からのメールです。

★☆★☆
福島市危機管理室主催の【「第2次清水地区除染」について】という説明会に行ってきました。

1時間30分みっちり説明を聞き、特に混乱もなく説明会は終わりました。

ひとつ分かったのは、面的除染をやる場合の順番は、水の流れに沿ってやるということ。上流から下流へ。そして川へ。

この除染で使用し汚染された洗浄水は、要所要所でゼオライトによるろ過がされるものの、それは抜本的な汚染水のろ過ではないということ。

でも、福島市内の除染を急いで進めなければならない以上、現時点で最良と思われるゼオライトでのろ過で、洗浄水(汚染水)を河川に流さなければならないのは仕方がない面もあるのでしょう。

さて、ここでそれってどうなの?と俺には疑問が。

仕方なく汚染水を垂れ流している河川を管轄するのは国。その責任者の国は、池、河川、水路等の除染工法を未だに決めていないという。

あれなの?白黒付けない解決法な の?時間が経てば海に流れるから問題ないと言えるまでの時間をじっと待ってるの?

しっくりしないなぁ。

第451話  あの日この会場に

 
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2011年3月11日(金)午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北を襲った。

その時私は、福島市飯坂町の飯坂ホテル聚楽のイベント会場にいた。

お客様450名の前で歌謡ショーの司会をしていた。

今日6月19日(水)、2年3ヶ月振りに同じ会場でマイクを握った。

200人のお客様に聞いた「あの日、私と一緒にこの会場にいた方はいらっしゃいますか」

11人の方の手が挙がった。

あの日の恐怖を一緒に乗り越えてくれた人が、同じ会場に11人もいる事に、胸が熱くなった。

止まらない揺れの中で、「どんなに大きな揺れでも1分程度で収まります。落ち着いて、その場を離れずに、頭を守って下さい」そう懸命に話し続けていた。

しかし 揺れは2分30秒続いた。

途中停電で、会場は真っ暗になり、マイクも使えなかった。

シャンデリアが落ち、時折悲鳴が会場を包んだ。

揺れが収まり、ホテル聚楽のスタッフの的確な判断と誘導で、450人はスムーズに安全な場所に避難することができた。

怪我人は0だった。

今日のメインゲスト「コント山口君と竹田君」の
抱腹絶倒のステージにあの日を忘れて、久し振りに笑う事ができた。