福島市

第170話 宮西さんのコンサート

 
福島市にある飯舘村の仮設住宅の集会場で、宮西希(みやにしのぞみ)さんの箏によるコンサートが行われました。お客さんは大雪の中30人です。
 

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一曲目は、なごり雪。

宮西希さんは震災直後から自ら車を運転し、被災3県の避難所を 回り、ミニ演奏会を開いてきました。

それも、たった一人で。

この日も、中古のエクスプローラを運転し、8時間かけて東京から来てくれました。

音楽の力を信じて、自分の出来る事をやる。その信念のもと、宮西希さんの支援コンサートは続きます。

アンコールは「ふるさと」。近くて遠い故郷「飯舘村」を想いながら、全員で、合唱しました。

涙を流しながら。

 

第169話 仮設住宅

 
全村避難の飯舘村の住民が住む、福島市松川町工業団地内の第一仮設住宅。
 

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123世帯、210人が肩を寄せあって生きている。その内48人が独り暮らしのお年寄り。

皆、ストレスから高血圧、高血糖、運動不足からの肥満が深刻化している。

「絶対に孤独死を出さない!」第一仮設住宅管理責任者の佐野ハツノさんは、班長さんと強力して、毎日独り暮らしのお年寄りの安否確認の為に、声をかけてまわる。

昨夜からの大雪で、仮設住宅は一面銀世界。

重い雪と格闘しながら、車の雪を落とす住民からは、「飯舘の家が心配だ」との声が聞かれた。

 

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第112話 ロマン喫茶

 

私の友人「天然パンチ」くんからの興味あるメールを転送します。

 東京を中心に活動するインディーズデュオの「ロマン喫茶」が今度の12月13日(木)に福島大学附属幼稚園にやってきて、ミニ音楽会を行います。園児に対する歌のプレゼントです。  

5歳から日本民謡を歌い始め、全国大会での優勝経験を持つ実力派ボーカリストのSEI。人の心に響く美しい楽曲を生み出すギター&ボーカルのKAME。  

この二人からなるロマン喫茶は2009年、東京都内の音楽学校で結成されました。  

今年の2月19日に行われた福島大学附属幼稚園 第11回学術講演会では、清水宏保さんが「ぜんそくの克服、金メダルへの道」という講演をし、その後ゲストととしてSEIが福島大学卒業という縁からロマン喫茶のライブが行われました。 

素晴らしい歌声です。背筋がぞくぞくしました。  

話がそれますが、清水宏保さん。とても良い話でした。 

まず、その頭の回転の速さに脱帽。会場から出された漠然とした質問に対しても、きちんとその質問の趣旨をくみ取り答える。

今回の衆議院選に出馬するのは意外でしたが、彼なら面白い政治をしそうな気がします。 

清水さんは言いました。「頭で考え、指令を出し、体を動かしていたのではアスリートとして成り立たない」「体が自然に動くまで練習を繰り返して当たり前」  

話がそれました。 ロマン喫茶。今はインディーズでの活動ですが、早くメジャーになって欲しい歌の精です。

第110話 あみちゃん諒くん

 

★福島県主催の「ふくしま・きずな物語」の入賞作品から、福島市立飯野中学校1年生の廣野あみさんの作文を紹介します。

 
あみちゃん涼くん
 

あみさんと弟の諒くん(青木小学校5年生)の二人は、震災後、自宅前の国道に出て、自衛隊や警察の復興支援車輌に対し、「ありがとう」「頑張って下さい」の手書きのメッセージを掲げ、感謝の気持ちを表してきました。

あみちゃん、諒くんの将来の夢は、警察官になることです。

★「ふくしま・きずな物語」

廣野 あみ

「頑張って下さい!」
「お疲れ様でした!」

手作りのメッセージボードを持ち、私と弟は、昨年の4月から国道114号線で、浜通りに向かう警察、自衛隊車輌へ応援の言葉を送っています。

始めは、手を振り返してくれるくらいだったのですが、災害派遣に向かう途中や、帰る途中に車を停めて、話しかけてくれるようになりました。

なかには、
「ありがとう。励みになっています」。
と言って、泣いていた警察官もいて驚きました。

何気なくやっていた事が、本当に嬉しかったのを、今でもハッキリと覚えています。

そして、もっとしっかり応援したいと思うようになりました。

しばらく続けていると、災害派遣を終え、県外へ帰った警察官や自衛隊の皆さんから手紙や寄せ書きの色紙が送られてきました。

その手 紙には、
「ありがとう」や「お互いに頑張ろう」などと書いてありました。

寄せ書きの色紙には、
「絆」という字と、たくさんの人からのメッセージが書いてありました。

「絆」とは、前から知っている言葉だったけど、今回の震災で、本当に大切な言葉になりました。

福島の方は、皆で力を合わせてあの震災を乗り越えようとしています。

また、他県からもボランティアや寄付、救援物資など、たくさんの方が援助してくれました。

警察官、自衛隊の皆さんも危険な場所へ入り、今もまだ頑張ってくれています。

とても悲しく、辛い震災だったけど、皆で一致団結した「きずな物語」を見ることができました。

一生忘れず、自分の子に、孫に、しっかりと伝えていこう と思います。

廣野あみ

第101話 ふくしま・きずな物語

 
「きずな」をテーマにした作文・エッセイの表彰式が今日、二本松市で行われました。

その内の4作品を、私が朗読しました。

どれも感動的な作文で、震災から多くの人達に支えながら生きてきた「感謝」の思いにあふれていました。

3000通にも及ぶ作文・エッセイの応募作品の中で、堂々の最優秀賞に輝いたのは、南相馬市立原町第二小学校2年生の大槻虎聖(おおつきとらきよ)くんの「ふくしまのたからもの」でした。

虎聖くんは震災後、南相馬市から福島市に避難してきました。

そこでの不安と、友達への感謝の気持ちを素直に表現していました。

何回読んでも、涙があふれました。

以下、全文を紹介します。
「最優秀賞」 ふくしまのたからもの 大槻虎聖

★僕は、3月11日の震災で、福島市に避難してきました。そして、福島市の野田小学校に入学しました。

本当は、仲良しのレオくんと、はるくんと一緒に、原町第二小学校に行くはずでした。でも、みんなバラバラになってしまいました。

入学式の日、僕は、とても不安で泣いてしまいました。お父さんとお母さんはいたけど、友達が一人もいなくて、さみしくなりました。

担任の先生が、「大丈夫、大丈夫」と言ってくれました。嬉かったです。

次の日の朝も、僕は不安でした。校門まで、お母さんが送ってくれました。涙が出そうだったけど、お母さんに、「とら、行くしかないよ。この学校に行くしかないんだから」と言われたので、気合いを入れて行きました。

ドキドキしながら、教室に入りました。前の席の友達が話しかけてくれました。

気がついたら、友達がいっぱいできました。毎日、学校に行くのが楽しかったです。

となりのクラスの先生達も、「とらちゃん、とらちゃん」と言って、話しかけてくれました。

みんな優しくて、面白くて、僕は、野田小学校に入って良かったなと思いました。

体育館で友達と、鬼ごっこをしたり、どっちボールをしたことが一番の思いでです。大好きな友達がいたから、家族がバラバラになっても、福島で楽しく元気もりもりでいれたのかなと思います。

原町に帰ることになって、先生がお別れ会をやってくれました。また、僕は泣きました。友達も泣いていました。ありがとうって思いました。さよならするのはさみしいけど、みんなが手紙をくれて、とても嬉しかったです。

僕の大事なたからものです。

(大槻虎聖)

虎聖くんのたからものは友達からの手紙でした。福島県のたからものは、虎聖くんだと思いました。