その他

第405話  変わっていく被災地病院

 

 
南相馬市立総合病院・神経内科 
小鷹 昌明

2013年5月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp/
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「震災を忘れない!」という言葉が、二分してきているような気がする。
すなわちそれは、防災意識を高めるために「地震は怖いものだし、同じ過ちを犯さないためにも、津波の備えは大切である」という意味の、前向きな「震災を忘れない!」と、「不幸な被災者を悲しみに浸らせ、もっと言うなら東電の補償を受け取るまでは、怒りや苦しみを忘れない」という、やや後ろ向きな「震災を忘れない!」とであり、それが入り乱れて混沌としている。
そして、後者の意味を発信する人たちの方が優位な立場であり、正論であり、正義のように感じられる(いや、正確に言うなら、後者の意味で用いる表現の方が、圧倒的に強い メッセージ性を有している)風潮がある。しかし、皮肉なことに、そうした発言が、この街の翳りと憂いとからの脱却を遅らせているように(私には)感じられる。くどいようだが、あくまで私個人の意見だが。

改めて自問する。いまの時期、私たちは何を考え、何を伝えたらいいのだろうか。
震災を風化させないために、まだまだ解決されない被災地の悲惨な現実を説いたらよいのか、それとも、戻ってきてくれる人を望み、震災は過去のものとして無害を強調していった方がいいのか。
そんな問いを立てて、地元の人や支援の人、戻ってきた人、新しく移住してきた人、誰に尋ねたとしても「それは、きっと両方必要だよ」という曖昧な回答しか得られない。だから、いまの南相馬市に「それはこうだ 、こうすべきだ」のようなメリハリのある結論など出ないのは当たり前なのである。

震災関連の言説は、既に飽きられている。誰が何を説明しようが、「そんなことはない」と私をいくら批判しようが、これはもう紛れもない事実である。県外に福島の実情を伝えたいなら、私たちは論調を変えなければならない。
世の中においては、立場や視点のはっきりした情報が求められるし、そういう知見を明確にインテイクできた方が解りやすいに決まっている。しかし、私が、この南相馬市に関するエッセイをしたためながら説こうとしていることは、相変わらずの「世の中の物事においては、多くの場合、結論はない」ということである。どこをどう考察したとしても、特にそれが重要で深い内容であればある ほど、その傾向は強くなっていく。生の手がかりを得れば得るほど物事の真相は混濁し、深く知れば知るほどその底流に潜む事実は迷走していく。結論はますます遠のいていくし、視点は徐々にボケるし、思考は枝分かれしていく。
しかし、1年をここで過ごし、さまざまな震災関連の人たちと触れ合う中で少しずつ確信したことは、「そういう混沌を突き抜けていかないことには、本当の姿は見えてこない」ということである。そして、その姿が見えてくるまでには、途方もないほどの多くの時間がかかるし、たとえ見えてきたとしても、その情景を短い言葉で端的に示すことなど(たとえ私のようなものがいくら弁証を繰り返したとしても)、到底語り尽くせるものではない。
そして、さらに言いたいことは 、「そうだとしても、その段階を否が応でも経ないことには、些(いささ)かなりとも価値のある物事は生まれてこない」ということである。

今年度に入って、わが市立病院は様変わりした。もちろん外観は同一だし、いろいろな支援をいまだに受けているし、システムもほとんど変わっていないのだが、一言で言えば、「人が入れ替わり、さらに増えた」ということである。そして、「それに伴い不慣れや不安はあるにせよ、かなり活性化してきた」ということである。
東京都と千葉県出身の若き初期臨床研修医2人に加えて、看護師やリハビリスタッフの新採用、秘書や事務職員の増員、臨床工学士の雇用、医学生・看護学生の見学など、20名以上の人が刷新された。医局の机が足りなくなり、それを搬入す るためにソファが撤去され、食事のためのスペースが大幅に削減された(このため、かなり手狭な空間で昼食を摂っている)。講義室を潰し(移動予定)、事務室が拡張され、新たに医療安全管理室や感染対策室が立ち上がった。
勝手に想像して恐縮だが、当院におけるこの規模での人事異動や構造改革は、きっとはじめてのことなのではないか。わが病院に起こりつつある地殻変動の予兆を感じている。
こんなことを言っても、大学病院や大病院に勤めている医療者からみれば、「何をいまさら」と断じてしまう人もいるであろう。私も、大学に勤務していた頃は、それはそこにあるものとして当たり前に存在していた。改めて言うことでもないかもしれないけれど、新たな仕組みの立ち上げや新規の流れの 導入というのは、私たちの置かれている狭い世界からみると、きっと得難い経験になるのではないか。それが、プリミティブでプレリミナリーなことであればあるほど、“原点に立ち返る”というか、“本当のゼロからの機動”という意味で。

この病院に勤務していて何が興味深いかというと、それは「全体が可視的である」ということである。230床の病院であるからして(看護師がいまだ足りないので、実際の稼働ベッドは150床程度であるが)、可視範囲として病院全体を見渡せる。
極端なことを言えば、一日出勤し、外来や急患対応や検査や病棟業務や会議を行うと、ほぼくまなく病院を周回することになる。栄養相談や薬剤指導やリハビリを依頼すれば、栄養課や薬剤部やリハ室にも顔を出すことにな るし、市民活動を行っている私などは手続きやら相談などで、事務室への出入りも頻回である。
可視範囲が病院全体におよぶということは、実態を大局的に、そして中立的に理解しやすくなる。機能的な動きをしている光景をみると――別に私が何をしたわけではないのだが、頼もしさと手応えとを感じるし、逆に、不具合の目立つ場所をみると――別に私が何かをしなければならないわけではないのだが、「どうにかしたい」と思うのである。そうした意識が病院職員全体に広がれば、きっとその病院は発展していく。

確かにこの病院は、原発からもっとも近い医療機関として奮闘してきた。それはそれは、大変な苦労と葛藤であった。ようやく落ち着きを取り戻しつつあるこの現場であるからして、こう した動きをとても喜ばしいと思う一方で、もっと俯瞰的に言うなら「きっと社会というのは、そういう過程を経ることで、やがて本来の機能を取り戻すのだな」という気がしてくる。一歩後ろに退けるようになって、「前よりも全体像が明確に把握できるようになる」とか、一歩前に出られるようになって、「これまで気が付かなかった細部に気を配れるようになる」とか、そのような経緯によって。
震災から2年、「ようやく混沌から一歩抜け出たのかな」という感覚を得ている。遅ればせながら、やっとこの地にも再生の兆しが見えてきた。

さて、病院における復興の象徴は、先にも述べたが臨床研修指定病院の取得に続く、2名の初期研修医のマッチングである。4月からうろうろしている2人と、連日意見 交換をしている。もちろん、まだ来たばかりであり、彼らが何をできるわけではないのだが、「遠くからせっかく被災地病院にひとりで来たのだから、研修以外にも自分のこれまでとは違う何かをはじめてみたら・・・、たとえば“料理”とか」などと他愛もない話をしている。
研修医がはじめてこの地にやってきた理由と、私のように20年近く大学病院に勤務してからやってきた理由とでは、おそらく大きな違いがある。彼らは、この“被災地”という何か特別な場所で、特異な技術や知識の習得を期待してやってきている。一方、私は「特別なことを期待して」というよりは、特別なことが起こらないように、未然に防ごうとして街の再生事業に参画している。
そもそも、この街にやってきた目的が違う。彼 らは、街の復興を願う私たちのバイタリティや取り組みに関心はあるかもしれないが、医療技術を習得することと、そうしたこととは、おそらく別の問題である。そこをうまく融合させ、有意義なものとして導いていかなければならない。

先月、広島大学病院の初期研修医(女医2名)が、はじめて被災地のこの病院に入った。その研修実態を地元で報道すべく、広島のテレビ局が彼女たちを追って何日も張り付いていた。そして、2週間の被災地研修を終えた彼女たちが最後に残していった言葉が、この私たちの研修指定病院の役割におけるひとつの答えになるのかもしれない。
『南相馬市立総合病院にボランティアの人々が多く行かれているなかで、私たちのそちらでの研修内容が広島で何度も報道されま した。はじめは驚きましたが、これが先生の言われた「医者は発信力がある」ということなのかと、痛感いたしました。いま、身の引き締まる思いがします。私の周りでも反響は大きく、母校でも同僚や後輩たちから「研修の様子を教えてください」と頼まれています。私たちも、あと数日で医師3年目(後期臨床研修)がスタートします。本当に不安だらけですが、先生方のように必要とされる時に、必要とされる場所で、必要とされる技術を用いて活躍できる医師になれるよう頑張りたいと思います』

私のこれまでの臨床経験は、この時期にこの土地で力量を発揮するための、大袈裟に言うなら“備え”だったのかもしれない。いずれやってくるであろう未来の現場を見据えて、自分の振り幅を高めておくこ とである。私たちは、きっとこの地に来ることなど想像もしていなかった。ただ、ある種の既成事実として何かしらの運命の糸に操られてやってきた。
私たちがしなければならないことは、個々の研修医が、いずれそれぞれの現場に散ったときに、そこで自らを立ち上げ、維持していけるだけのスキルの習得法を学ばせることである。そういう意味では、私たちの被災地での活動は、この時期に、この場所に来ることで一気に発動されたのかもしれない

MRIC by 医療ガバナンス学会

第404話  内部被曝通信 福島・浜通りから~タブレット入力で何が変わるか

 

 
内部被曝通信 福島・浜通りから~タブレット入力で何が変わるか

この原稿は朝日新聞の医療サイト「アピタル」より転載です。
http://apital.asahi.com/article/fukushima/index.html

南相馬市立総合病院
非常勤内科医 坪倉 正治

2013年5月21日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp/
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ひらた中央病院で、内部被曝検査の一部電子化が始まりました。

内部被曝検査結果を、ホールボディーカウンター(WBC)自体から自動的に吸い出して格納し、個人ごとにストックしてくれるようなシステムと、問診票の入力にiPadに代表されるようなタブレットが使用されるようになりました。今まで逐一手作業で入力していた部分が効率化されることになります。データのバックアップを十全にする狙いもあります。

現行の電子カルテのレベルには到達していませんが、予約システムやレセプト、他の検査結果との連動なども視野に入れて作られています。

今まで、データ入力や予約は、多くのマンパワーが必要で した。純粋に検査結果の数値やアンケート結果を入力する作業は、ヒューマン・エラーも起こりやすく、見直しやデータのクリーニングを行ってはいるものの問題点が多かったのです。

ひらた中央病院の検査では、問診票が併用されています。この問診票は「内部被曝を減らすために、日常生活で何に気をつけるべきか」という、生活に密着した問いへの答えを出すために作られました。内部被曝検査を受けにきた人が、どの程度食品に気をつけているのかを問うことにより、様々な食品の購入行動がどの程度の内部被曝リスクを伴うのか、それを明らかにすることを目的としていました。

この作業は一病院にとっては、かなりの負担でした。南相馬市立総合病院では、震災1年頃は全国から来てくれた、 多くのボランティア大学生の助けによって何とか進めてきました。

タブレット化されて、問診に答えると自動的にカルテに反映されるようになりました。タブレットでの入力はまだまだ改良の余地も多いのですが、小学3年生以上ぐらいならサクサクと入力してくれます。ご高齢の方など、パソコンに余り慣れていらっしゃらない方には余計に時間がかかったり、今まで手作業だったからこそうまく行っていた部分でトラブルを生じたりしていますが、少しずつ先に進んでいます。

ご存知のように内部被曝検査は医療行為ではありません。別に医師の監督は必要ないですし、診断も不要です。ですが、個人の計測結果である以上、理想的には、個人の健康管理に役立ち、他の健診や健康情報としっかりリン クするのが良いと思っています。

採血には多くの項目がありますが、WBCの検査結果やガラスバッジの結果も、その中の一つとして含まれるような形にならないだろうかと感じています。個人で今まで受けた検査の結果を全て自分で持ち、自分で管理し、自分で判断する ――こうできるのであれば、特にリンクは必要ないかもしれませんが、決してそうでは無い方も多いように思います。

ひらた中央病院の取り組みは、そのような状況から前に進むための第一歩だろうと思います。

MRIC by 医療ガバナンス学会

第400話  福島県アマチュアゴルフ選手権大会

 
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大和田新です。

長男、肇(20)が、福島県アマチュアゴルフ選手権大会で優勝しました。

6月に岩手県軽米で開催される東北アマチュア選手権に出場します。

東北福祉大勢の高い壁に挑戦です。

応援宜しくお願い致します。

第399話  大学の授業にて…

 

 
この春、県立原町高校を卒業した、浪江町出身の大学生、沼能奈津子さんからのメールを転送します。

★☆★☆
こんにちは。
暑い日が続いていますが、お元気ですか?

先日、藤代裕之教授の「情報メディア論」という授業の中で、「ラジオ福島」というワードが出てきました!震災後のマスコミとソーシャルメディアの関係についての授業でした。

その中で、Ustreamを駆使し、全国へ懸命に福島の今を発信しているラジオ局の例として「ラジオ福島の月曜Monday 」が挙げられていました。

とても嬉しくなり、学生が書くリアクションペーパーに「ラジオ福島の大和田アナウンサーとメル友です」と記入しました

私が将来、メディアを志望するきっかけになったのが、大和田さんや月曜Monday との出会いでした。

改めて大学の授業で、ラジオ福島が取り上げられた事が、誇らしくもあり、嬉しくもありました。

大学では、楽しい授業がたくさんあり、視野が広がります。

以上、近況報告でした!

沼能奈津子

第398話  除染作業員募集

 
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福島市の自宅のポストに、除染作業員募集のチラシが投げ込まれていた。

日給13000円、未経験、高齢者大歓迎とある。

「まだまだ復興が進んでいないのが現状です。地元の為にあなたの力を必要としています」と、泣きの一言が添えられている。

労働条件業界随一、定期的にメディカルチェックを行っているので安心して働けるんだそうだ。

私の団地の除染は、福島市との当初の約束では、今年3月に行われる予定だった。

除染作業の前に行われる行政、業者、世帯主との3者面談も、いつ実施されるか日程も定かでない。

除染を待つ住民の手をも借りたいほど遅れている除染とは、いったい何なのか。

六魂祭の為の除染も大切だが、この地で生きて行こうと決めた住民の生活環境の除染こそ、最優先ではないのか。