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第449話  女性の身体性を取り戻そう  途絶えてしまった伝承-母から娘へ伝えて欲しいもの

 

 
女性の身体性を取り戻そう  途絶えてしまった伝承-母から娘へ伝えて欲しいもの

つくば市 坂根Mクリニック 
坂根 みち子

2013年6月17日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  

開業して何でも診るようになって気づいたことがあります。

女性が自分に体についてあまりに知らないということです。現代の医療の発達、戦後の教育が、古来母から娘へ伝承されて来たものをすべて断ち切ってしまったようです。
例えば月経について。日本の生理用品は高品質で使い心地が良く、世界的に見ても至れり尽くせりです。生理用品がこれほど発達している国は世界に類を見ないのではないでしょうか。今や1種類のシンプルなもので済ませる女性は少なく、夜は夜用、長時間座っているときは長時間座る用と目的によって多種類を使い分けています。

でもちょっと待ってください。生理用品がなかった時代はどうしていたのでしょうか?災害時に生理 用品が手に入らなかったらどうするのでしょうか? お金がない人はどうするのでしょうか?地球上で生理用品がない地域の人々はどうしているのでしょうか?

昔の女性は月経血は出口を締めて溜め、おトイレに行ったときにまとめて出していたと言われています1)。明治時代の人の話です。綿球が手に入るようになる時代では、綿球を入り口近くに入れて丁度栓をするような感覚で粗相をしないようにしてやはりトイレに行ったときにまとめて出していたようです。つまり月経はある程度自分でコントロール出来るものだったのです。今はどうでしょうか。出口を締めて経血を止められる人がどのくらいいるのでしょうか。そもそもコントロール出来るものだという教育はされているのでしょうか。少なく とも、高度経済成長時代に育った筆者は、母親から月経について一切教育を受けた記憶がありません。小学校の高学年の時に、女子だけ集められ学校の先生から習ったことがすべてでした。その時にはもちろん昔の人はどうしていたかという話はありませんでした。

膣口を締めるという動作は、尿漏れの防止、子宮や直腸等の骨盤内の臓器が下がってくることの防止につながります。最近過活動膀胱といって、トイレが近い人が増えています。また腹圧性尿失禁といって、くしゃみや咳、下腹部に力が入った時に尿が漏れてしまう人も増えています。更に心配なのは、女性の臓器下垂、臓器脱が増えているのではないかということです。臓器脱(下垂)とは、膀胱、子宮、直腸が下から出てくることです。これらの 臓器を支えている骨盤底筋群という筋力の低下や委縮が原因です。

現代の女性は自分たちの身に起きている異常事態に気が付いていないのではないでしょうか。企業は商品を売ることが商売です。月経血については、それをコントロールする先人たちの知恵を教えてくれるより、いかに生理用品を売るかがポイントになります。製薬会社は、尿失禁が増えてきた理由と対策を教えてくれるより、尿失禁の薬を売ることのほうが大切です。また臓器脱を診る医師も、伝承については知りませんので医学的に見て手術の適応か否かという観点からしか話をしません。

先日受診した女性はまだ40代前半でした。トイレで力むと何か出てくるということで誰にも言えず、女医ということで筆者に相談してきました。 どうも子宮脱か肛門脱のようでした。専門医を受診して頂きましたが、やはり、まだ手術しないで大丈夫という話で終わってしまったそうです。伝承が途切れてしまっているので、現代医学の対応としてそれはそれで仕方がないことなのかもしれません。

月経血のコントロールも、尿漏れも、臓器脱もすべて一元的につながっています。若いうちから骨盤底筋群を意識して肛門を締める、膣を締める、というトレーニングがいるということです。昔は着物姿での立ち振る舞い、正座をすることや雑巾掛けをすること等で自然に骨盤底筋群は鍛えられました。それがなくなった現代人の生活様式では意識しない限り骨盤底筋群は緩んだままです。「小股の切れ上がった良い女」というのは女性の身体性が優れた人 を指す言葉でもあるのです。月経血をコントロール出来るということは、骨盤底筋群が発達して出産にも適したからだですので、お産も軽くなるでしょう。また産後の尿漏れや更年期からの臓器脱も起こしにくく、余分な医療からも解放されます。若いころからおむつのようなナプキンをして寝るより、最低限の生理用品で暮らせる工夫をすることの方がその先の予防にもつながるのです。

母から子へ綿々と伝えられてきたであろうと伝承はあっさりと途絶え、近代医学の名のもとに消え去りました。尿漏れも、臓器脱も先進国では現在どこでも問題となっています。

今、女性の身体性を取り戻さないと体は退化する一方です。更にお金もかかります。現代女性は40年近い年月、トータルで生理用品に幾ら かけていくのでしょうか。

一番大切なのは教育ですが、母親も祖母も生理用品がない時代はどうしていたのか全く知らない世代となってしまいました。近代医学の発達により、特に日本では世界一安全に子供が産めるようになりましたが、反面、病院での出産しか知りませんので、会陰切開やお産に伴う痛み等お産を恐怖に思うようなことばかり子供達が気にしているのを聞くと暗澹たる気持ちになります。今のままの教育では尿漏れや臓器下垂になる年もだんだん低年齢化してくることでしょう。女性が自然に持っている力が退化する前にまず伝承を知り、自分の体の身体性は人任せではなく自分で取り戻さなくてはいけないと思うのです。

伝承については10年前に出た名著「オニババ化する女性たち」 (三砂ちづる 光文社新書)に詳しく書かれています。

肛門を締める動作はいつでもどこでも簡単に始められます。慣れてきたら呼吸は止めずに数秒間締めては緩めるという動作を繰り返します。排尿時に尿を止めてみるというのも難しいのですが良いトレーニングです。それが出来るようになったら、下腹部も一緒に締めてください。前からも下からも骨盤を締めることで、内臓脂肪も取れ、お腹がへこんで見た目も良くなり一石二鳥も三鳥もメリットがあるのです。何歳からでも遅すぎることはありません。今日からでも始めてください。そして多くの人にこの事を伝えてください。

参考文献 1)「オニババ化する女性たち」三砂ちづる 光文社

MRIC by 医療ガバナンス学会

第448話  灘高校の被災地訪問活動

 

 
灘高校の被災地訪問活動

灘高等学校教諭 
前川 直哉

灘高校の生徒による初めての東北被災地訪問について記してから、1年あまりが経過した。

「神戸の高校生と、宮城・福島を訪れて」2012年4月8日)。本校ではその後も生徒たちによる被災地訪問を継続的に行っており、すでにこれまでに計6回、のべ80名以上の生徒が参加している。本稿では、こうした訪問活動を企画・実行してきた立場から、これまでの灘高校における被災地支援と交流活動を振り返り、これからの活動のあり方について考えてみたい。

本校生徒による初めての東北被災地への訪問は、2012年の春休みに行われた。宮城県名取市・山元町でのボランティアと福島県相馬市への訪問である。相馬市では本校OBでもある上昌広先生のご案内で、立谷相馬市長への表敬訪問や相馬高校生 との交流会が実現した。
ここで大きかったのは、相馬高校とのご縁ができたことだ。本校の生徒たちにとって、同世代間の交流が持てたことは多大な意義を持った。また私自身、同高で教鞭を取っておられた松村先生・高村先生との出会いは大きな転機となった。

で私は「これまでテレビの中の世界だった相馬は、今や灘高生にとってメル友の住む、身近な場所になった」と書いたが、その後、本校と相馬高校の交流は急速に深まっていく。

それからも夏休み、冬休みと長期休暇のたびに本校生徒による東北被災地訪問が実施された。第1回は8名だった参加者は、回を重ねるごとに増え、今年3月の第6回訪問には22名の生徒が参加した。訪問先は福島県相馬市・南相馬市、宮城県気仙沼市、岩手県陸前高 田市などで、現地のたくさんの方に多大なるご協力を頂き、毎回暖かく迎え入れて頂いている。

東北訪問のスケジュールを作る際、私が心掛けていることは次の三点だ。
一つ目は「なるべく自分の足で、現地を歩く時間をとること」。東北の被災地は広く、どうしてもバスなどでの移動が多くなってしまうが、それではテレビの画面に映る「被災地の風景」を再確認するだけに終わってしまいがちだ。できる限り生徒たちが自分の足で歩き、高い地点からではなく地上160cmや170cmの視点から街の現状を見つめ、復興の槌音に耳を澄まし、五感で感じる時間を大切にしている。

二つ目は「現地で多くの方のお話を聞くこと」。第1回訪問から帰神した生徒たちは、口々に「相馬高校のみんなとまた会いたい」 と話した。関西に住む私たちは、つい「被災地」「被災者」という言葉で多くの地域と人を括ってしまいがちだ。だがこの言葉では時に、一つひとつの街に、一人ひとりの人が住んでいるという、当たり前の事実がこぼれ落ちてしまう。多くの方と直接お話し、何度も同じ街を、同じ人たちをくり返し訪れることで、これまで縁遠かった場所が「○○さんの住む街」に変わる。とりわけ福島県立相馬高校さん、宮城県気仙沼高校さんには訪問のたびに交流会を開いて頂き、生徒たちは同世代の友人が数多くできた。関西に帰ってからもFacebookなどのSNSを通じて交流が続き、またあの街を訪れよう、あの街のことを関西に住む多くの人に知ってもらおうという機運が高まっていく。

三つ目は「現地で活躍する、カッ コいい大人たちの姿を見せること」。いま、日本中の志あるカッコいい大人たちは、東北で活動している。未来の進路が描きにくい子どもたちにとって、そうした大人たちの姿を目の当たりにする経験は、何物にも代えがたい「学び」の契機となる。気仙沼市で自ら被災しながらも、自身の経営するホテルを地域の避難所として開放したホテル望洋の社長さん・女将さん。震災直後から浜通りの医療支援・教育支援のため、相馬入りしている東大医科研の上昌広先生・坪倉正治先生や、尾崎達也先生ほか星槎グループの皆さん。相馬高校や気仙沼高校の先生方、現地NPOの皆さんなど、多くの方のお世話になっている。そうした皆さんの活躍を見て、お話を伺うことで、「人が、人のために動く」ことの尊さに、生徒た ちは改めて心打たれる。これは普段の教室では、なかなか体感できない経験だ。
気仙沼のホテル望洋や相馬の星槎寮でお世話になり、夜に開かれるミーティングで大人はビール、高校生はジュースを飲みながらお話を聞く時間は、とても貴重だ。

福島市の常円寺を訪問した夜、全国から集まっておられる除染作業ボランティアの皆さんの宴会にまぜて頂いた時のことだ。阿部光裕ご住職に勧められるままに自己紹介に立った灘高生は、次のように語った。「ここに集まっておられる皆さんは、本当にかっこいいです。皆さんみたいな大人になりたいと、心から思います」。福島市で地道な除染活動を続けることがいかに大変で、大切なことか。昼間にその作業を見学させて頂いた彼らから紡がれた、素直な感 想であった。

長期休暇の訪問活動以外にも、数多くのことを行なってきた。土曜講座と呼ばれる選択制の特別授業では、現地で活躍する支援者や研究者の方などに毎回お越し頂き、さまざまな角度から被災地の現状について講義して頂いている。昨秋にはホテル望洋の社長さんに本校までお越し頂き、学年全体の講演会も実施した。このときの講演会を聞いて心を揺さぶられた生徒たちが、その後の東北訪問の中心を担っている。
昨夏には相馬高校の生徒たちと先生方が、本校を訪れて下さった。

本校敷地内の宿泊施設で相高生と灘高生が語り合い、昼間は神戸の街を案内した。相互の訪問によって育まれた友情は深く、この春めでたく第一志望の東京大学に進学した稲村くんは、同様に東大に進んだ 本校OBたちを相馬に案内してくれている。

今年5月に行われた本校の文化祭では、生徒たちの手で「東北企画」という展示を立ち上げ、現地で撮影してきた写真や映像インタビュー、津波や原発事故についての解説、24人の識者たちにお話を伺ったインタビュー集の作成、講演会の実施、被災瓦礫の実物展示などを行なった。これらはアポ取りから文字起こしにいたるまで、全ての作業を生徒たち自身が行い、多くの方のご協力を得て実現したものだ。文化祭直前は不眠不休の作業だったようだが、彼らは現地で聞いた「東北のことを忘れないでほしい」という声にこたえようと頑張った。おかげさまで文化祭当日はたくさんの方にご来場頂き、「ぜひ一度、実際に現地を訪れてほしい」という彼らのメッセージを 多くの方に伝えることができた。

震災から2年以上が経ち、東北以外の地域の大手メディアでは、東日本大震災に関する報道が目に見えて減ってきている。急速に風化が進んでいるが、被災地の復興はまだ緒についたばかりだ。被災地訪問の今後を考える際、最も重要なのは「継続すること」だろう。阪神・淡路大震災を経験した私たちは、「忘れられていく」ことへの恐怖と悔しさを、誰よりも強く知っている。これからも多くの方のお力を借りながら、東北被災地との継続的な交流を行なっていきたい。東北と神戸、二つの地で響き合う共鳴の音色は、かすかに、しかし確実に大きくなってきている。

MRIC by 医療ガバナンス学会 

第445話  福島に寄り添うとはなにか

 

 
友人からのメールを転送します。

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 SYNODOSで語られた「福島に寄り添うとはなにか」は、なかなか面白かったです。

福島に寄り添うとはなにか【大野更紗×開沼博×藍原寛子×遠藤知絵×筒井のり子】
※サイトが別ウィンドウで開きます。

 この中で開沼博さんが「非日常の言葉」と「日常の言葉」にわけて整理を行いましょうと言っています。原発、放射能などは非日常の言葉だというわけです。  これを読んでふと思ったのは、今は原発、放射能、は非日常の言葉だけれど、これが一日も早く日常の言葉になるのが復興のスタートなんだろうなということ。 放射能が日常の言葉になるのはしゃくだけれど、未だに綱渡り状態の原発施設が一定の安定状態になれば、その時初めて日常の言葉として受け止めるしかない福島である以上、ここは意外と重要なんだろうなぁと思いました。

第443話  嬉しいメール

 

 
ラジオネーム、プリボンパパからのメールです。

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いつも仕事中に大和田さんのラジオ聞いてます。

仕事はトラックの運転手です。私は5月のはじめに、北海道函館から来ました。東日本大震災がきっかけです。

自分は、北海道奥尻島出身で、あの南西沖地震を経験、そして被災者でもあります。

地震の恐怖と津波の恐ろしさ、今後の生活・・・

色々な心の痛みも味わいました。

でも、全国・いや、世界中の皆さんからの支援、手助けがあって、今の自分があると思います。

なので、少しでも力になりたくて・・・・・

東日本大震災の発生から10日目、宮城に友達と支援に入りました。

トラックに救援物資を積んで走り回りました。

それから 、何か出来ないかと思い、思いきって転職しました。

転職して、これまでの仕事の経験を生かし、被災地での復旧、復興のためにできる事として、トラックの運転手を続けています。

単身赴任で来る予定でしたが、嫁さんが4月20日に仕事を辞めてついて来てくれる事になりました。

嬉しくて、涙が出ました。

これから、できる限り夫婦で、福島の為に頑張って行こうと思っています。

福島の人達は皆な温かで、優しいです。

このまま、福島県人になっちゃおうかと、嫁さんと話しています。

リクエスト曲は浜田省吾の「Iamafather 」をお願いします。

函館を離れて、少し寂しい時は、この曲を聴いて頑張っています。

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プリボンパパさん、そして奥さん、ありがとうございます。

第442話  放射線災害と向きあって②

 
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友人からのメール。

放射線災害と向き合ってを読んでいるとか、私もクマモンと読書中。

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現在読書中。この本は史実の記録としても、放射線災害が起こる前と後で福島がどこを見ていて、どこを見なきゃいけなくなって、知らなかったけど知るしかなくなったことがあって、冷静に恐れるという危うくも確実な拠り所を手にする心の揺れがしっかり書かれていて、起こってしまったからにはそれをも内包して楽しんでいかなきゃね、という励ましを感じます。