ラジオ福島開局60周年記念「オールナイトニッポンコンサートin会津若松」が会津風雅堂で開催され、会場に集まった1300人が時代を彩る名曲の数々に酔いしれました。
ゲストは、泉谷しげる、渡辺美里、F ブラッド(藤井フミヤ、藤井尚之)の4人、3組。
アンコールの「雨上がりの夜空」では、観客総立ち、ステージと会場が一帯となり、大合唱のうちに感動のフィナーレを迎えた。
泉谷しげるさんが言いました「福島は、色んな事があったけどよ、一人一人が自分の未来の為に頑張ろうぜ!俺たちも応援するからよ。分かったか、お前ら。決して諦めるなよ。さあ、未来の為に一緒に歌おうぜ!」とエールを送ってくれました。
ゲストの紹介で私は泉谷しげるさんに「泉谷さんありがとうございました。ラジオ福島開局100周年記念の時にも来て下さい」と言うと、「バカ野郎、来てやるから、必ず呼べよ」と1300人の観客の前で約束してくれました。
40年後が楽しみです。
2013年6月24日 |
会津若松市
会津若松市の会津風雅堂前の立葵。
今日はラジオ福島開局60周年記念「オールナイト・ニッポンコンサート」が開かれます。
時代を彩った名曲の数々をお聴き頂きます。
ゲストは、泉谷しげる、渡辺美里、藤井フミヤの皆さんです。
楽屋入り口前に咲く「立葵の花」。
ちょうど梅雨入りの頃に咲き始め、梅雨明けと共に花が終わることから「ツユアオイ(梅雨葵)」とも呼ばれています。
花言葉は「大望、大きな志、気高く威厳に満ちた美」。
ヨーロッパでは「ホーリーホック」、「聖地の花」と呼ばれ親しまれています。
2013年6月23日 |
会津若松市
★浪江中出身で、南相馬市にあります、原町高校3年の沼能奈津子さんからのメールを転送します。
沼能奈津子さんは、原町高校生徒会副会長として原町高校をまとめながら、放送部長として被災地の高校生の本音を全国に発信してきました。
奈津子さんは、大学でメディア論を学び、将来は福島の現状を世界に伝えたいと考えています。
原町高校の沼能奈津子さんが初代なっちゃん、浪江中の山田なつちゃんが、二代目なっちゃんです。
二人のなっちゃんを大学と高校が決まったら、ラジオ福島のスタジオに呼んで、夢を聞きたいと思っています。
こんばんは
お久しぶりです。
なかなかメールの返信が出来ず申し訳ありません。
大和田さんからのメールを読むと、いつも考えさせられます。視野を広げて下さるメールに感謝します。ありがとうございます。
私が大学でマスメディアについて学びたいと強く思ったのは、ラジオ福島の出演がきっかけです。
放送部に入りたくて原町高校に入学し、将来もメディアに関わりたいと思っていました。
しかし、震災・原発事故の報道の仕方に裏切られた気がして、メディアを信じられなくなりました。
しかし、原町高校放送部で学校や地域の様子を全国に発信し続けたことで、発信することの大切さを学びました。
また、当事者が発信しなければいけないと思うようになりました。
ラジオ福島出演の際は、大和田さんや皆さんが親身になって話を聞いてくださったり、自由に発言できる空間を提供してくださったりと、信用できるメディアに出会いました。
私も大和田さんやラジオ福島の皆さんのように親身になって他者の思いを汲み取り、発信できる人間になりたいと思い、大学での目標を決めました。
本当に感謝しています。
また、福島工業の南原さんや小高工業の高野さんが現状を発信している姿に勇気付けられました。(欲を言えば…)私も参加したかったな~なんて思いましたが、今は我慢して勉強します
今は、地域のために出来ることは少ないのですが、一生懸命に学校生活を送ることが私が出来ることだと思っています。
最近は早く受験が終われば良いな~と思うばかりです 苦笑
原町高校・沼能奈津子
2012年11月13日 |
会津若松市
午前中とはうってかわって、会津は雨になりました。
会津若松市の風雅堂で行われた「全国地域安全運動福島県大会」で、講演してきました。
警察官、自衛隊、そして消防団への感謝を話の中心に置き、相馬市の立谷市長のメルマガを最後に感情たっぷりに朗読しました。
亡くなった消防団の政弘さんのお母様のセリフには、こちらも言葉が詰まりました。
「まさひろ、偉いど!お前を誇りに思うぞ!」
ハンカチを手に聞いてくれた人もいたようです。
この震災で亡くなった地元消防団員は被災3県で250人です。
阪神淡路大震災では1人でした。
町の英雄を語り継ぐと同時に、2度と消防団員を死なせない防災対策をしなくてはなりません。
主催者に華の湯の菅野社長がいました。
来年の件、お願いしておきました。
この後は、磐梯熱海のラーメン屋で講演してきます。
今度こそ、若い奥さまを期待しています。
若い奥さまを泣かせたいですね。
2012年10月19日 |
会津若松市