第461話  堀潤さんと③

 
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4月1日に警戒区域が解除された浪江町の沿岸部請戸(うけど)地区に入った。

ここは浪江町で最もの津波の被害が大きかった。140人が亡くなり、今も30人が行方不明となっている。

海から300メートルの所にある請戸小学校の二階に上がった。各教室の黒板には、復興・復旧を願うメッセージが書き込まれている。

堀潤さんは一つ一つのメッセージを噛み締めるように声に出して読んだ。

「天は乗り越える事の出来る試練しか与えない」「われらは海の子」

請戸小学校2階の教室から南へ7キロの地点にある東京電力福島第一原子力発電所の排気搭がはっきり見えた。

震災前はここから排気搭は全く見えなかった。それは、この回りが住宅地で森や林に囲まれてい たからだ。

地震発生時、請戸小学校には83人の児童がいた。津波が押し寄せるおよそ50分の間に、全児童と教職員全員が避難し、1人の犠牲者も出していない。

堀潤さんは言った。「地震発生時の学校や地域の住民のとっさの判断が子供達の命を守ったんですね。請戸小学校の奇跡を後世に語り継いで行く事が、防災に繋がりますね」と。

請戸地区にある町慰霊碑の前で、堀潤さんは長い間手を合わせていた。