第448話  灘高校の被災地訪問活動

 

 
灘高校の被災地訪問活動

灘高等学校教諭 
前川 直哉

灘高校の生徒による初めての東北被災地訪問について記してから、1年あまりが経過した。

「神戸の高校生と、宮城・福島を訪れて」2012年4月8日)。本校ではその後も生徒たちによる被災地訪問を継続的に行っており、すでにこれまでに計6回、のべ80名以上の生徒が参加している。本稿では、こうした訪問活動を企画・実行してきた立場から、これまでの灘高校における被災地支援と交流活動を振り返り、これからの活動のあり方について考えてみたい。

本校生徒による初めての東北被災地への訪問は、2012年の春休みに行われた。宮城県名取市・山元町でのボランティアと福島県相馬市への訪問である。相馬市では本校OBでもある上昌広先生のご案内で、立谷相馬市長への表敬訪問や相馬高校生 との交流会が実現した。
ここで大きかったのは、相馬高校とのご縁ができたことだ。本校の生徒たちにとって、同世代間の交流が持てたことは多大な意義を持った。また私自身、同高で教鞭を取っておられた松村先生・高村先生との出会いは大きな転機となった。

で私は「これまでテレビの中の世界だった相馬は、今や灘高生にとってメル友の住む、身近な場所になった」と書いたが、その後、本校と相馬高校の交流は急速に深まっていく。

それからも夏休み、冬休みと長期休暇のたびに本校生徒による東北被災地訪問が実施された。第1回は8名だった参加者は、回を重ねるごとに増え、今年3月の第6回訪問には22名の生徒が参加した。訪問先は福島県相馬市・南相馬市、宮城県気仙沼市、岩手県陸前高 田市などで、現地のたくさんの方に多大なるご協力を頂き、毎回暖かく迎え入れて頂いている。

東北訪問のスケジュールを作る際、私が心掛けていることは次の三点だ。
一つ目は「なるべく自分の足で、現地を歩く時間をとること」。東北の被災地は広く、どうしてもバスなどでの移動が多くなってしまうが、それではテレビの画面に映る「被災地の風景」を再確認するだけに終わってしまいがちだ。できる限り生徒たちが自分の足で歩き、高い地点からではなく地上160cmや170cmの視点から街の現状を見つめ、復興の槌音に耳を澄まし、五感で感じる時間を大切にしている。

二つ目は「現地で多くの方のお話を聞くこと」。第1回訪問から帰神した生徒たちは、口々に「相馬高校のみんなとまた会いたい」 と話した。関西に住む私たちは、つい「被災地」「被災者」という言葉で多くの地域と人を括ってしまいがちだ。だがこの言葉では時に、一つひとつの街に、一人ひとりの人が住んでいるという、当たり前の事実がこぼれ落ちてしまう。多くの方と直接お話し、何度も同じ街を、同じ人たちをくり返し訪れることで、これまで縁遠かった場所が「○○さんの住む街」に変わる。とりわけ福島県立相馬高校さん、宮城県気仙沼高校さんには訪問のたびに交流会を開いて頂き、生徒たちは同世代の友人が数多くできた。関西に帰ってからもFacebookなどのSNSを通じて交流が続き、またあの街を訪れよう、あの街のことを関西に住む多くの人に知ってもらおうという機運が高まっていく。

三つ目は「現地で活躍する、カッ コいい大人たちの姿を見せること」。いま、日本中の志あるカッコいい大人たちは、東北で活動している。未来の進路が描きにくい子どもたちにとって、そうした大人たちの姿を目の当たりにする経験は、何物にも代えがたい「学び」の契機となる。気仙沼市で自ら被災しながらも、自身の経営するホテルを地域の避難所として開放したホテル望洋の社長さん・女将さん。震災直後から浜通りの医療支援・教育支援のため、相馬入りしている東大医科研の上昌広先生・坪倉正治先生や、尾崎達也先生ほか星槎グループの皆さん。相馬高校や気仙沼高校の先生方、現地NPOの皆さんなど、多くの方のお世話になっている。そうした皆さんの活躍を見て、お話を伺うことで、「人が、人のために動く」ことの尊さに、生徒た ちは改めて心打たれる。これは普段の教室では、なかなか体感できない経験だ。
気仙沼のホテル望洋や相馬の星槎寮でお世話になり、夜に開かれるミーティングで大人はビール、高校生はジュースを飲みながらお話を聞く時間は、とても貴重だ。

福島市の常円寺を訪問した夜、全国から集まっておられる除染作業ボランティアの皆さんの宴会にまぜて頂いた時のことだ。阿部光裕ご住職に勧められるままに自己紹介に立った灘高生は、次のように語った。「ここに集まっておられる皆さんは、本当にかっこいいです。皆さんみたいな大人になりたいと、心から思います」。福島市で地道な除染活動を続けることがいかに大変で、大切なことか。昼間にその作業を見学させて頂いた彼らから紡がれた、素直な感 想であった。

長期休暇の訪問活動以外にも、数多くのことを行なってきた。土曜講座と呼ばれる選択制の特別授業では、現地で活躍する支援者や研究者の方などに毎回お越し頂き、さまざまな角度から被災地の現状について講義して頂いている。昨秋にはホテル望洋の社長さんに本校までお越し頂き、学年全体の講演会も実施した。このときの講演会を聞いて心を揺さぶられた生徒たちが、その後の東北訪問の中心を担っている。
昨夏には相馬高校の生徒たちと先生方が、本校を訪れて下さった。

本校敷地内の宿泊施設で相高生と灘高生が語り合い、昼間は神戸の街を案内した。相互の訪問によって育まれた友情は深く、この春めでたく第一志望の東京大学に進学した稲村くんは、同様に東大に進んだ 本校OBたちを相馬に案内してくれている。

今年5月に行われた本校の文化祭では、生徒たちの手で「東北企画」という展示を立ち上げ、現地で撮影してきた写真や映像インタビュー、津波や原発事故についての解説、24人の識者たちにお話を伺ったインタビュー集の作成、講演会の実施、被災瓦礫の実物展示などを行なった。これらはアポ取りから文字起こしにいたるまで、全ての作業を生徒たち自身が行い、多くの方のご協力を得て実現したものだ。文化祭直前は不眠不休の作業だったようだが、彼らは現地で聞いた「東北のことを忘れないでほしい」という声にこたえようと頑張った。おかげさまで文化祭当日はたくさんの方にご来場頂き、「ぜひ一度、実際に現地を訪れてほしい」という彼らのメッセージを 多くの方に伝えることができた。

震災から2年以上が経ち、東北以外の地域の大手メディアでは、東日本大震災に関する報道が目に見えて減ってきている。急速に風化が進んでいるが、被災地の復興はまだ緒についたばかりだ。被災地訪問の今後を考える際、最も重要なのは「継続すること」だろう。阪神・淡路大震災を経験した私たちは、「忘れられていく」ことへの恐怖と悔しさを、誰よりも強く知っている。これからも多くの方のお力を借りながら、東北被災地との継続的な交流を行なっていきたい。東北と神戸、二つの地で響き合う共鳴の音色は、かすかに、しかし確実に大きくなってきている。

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