第3話 上野敬幸さん

★南相馬市原町区萱浜(かいはま)の上野敬幸(たかゆき)さん39歳を取材しました。

上野さんは、津波で両親と長女(8)・長男(3)の4人を亡くしました。

お父様と長男は、まだ見つかっていません。

壊滅的な被害を受けた萱浜にあって、奇跡的に上野さんの自宅建物の外観だけが残りました。

震災後、その自宅は格好のカメラスポットになりました。

津波に破壊された自宅玄関前には、家族の写真と焼香台が置かれています。

写真に手を合わせ、線香を手向け、自宅の写真を撮る人達に、上野さんは何も言いませんでした。

しかし、土足で家に入り込み、傍若無人に写真を撮る人達に対し、上野さんはしばしば怒りを爆発させました。

「ここは観光地じゃない。被災地だ!」

★事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所から22キロのこの地に自衛隊が捜索に入ったのは、震災から1ヶ月以上が過ぎていました。

「誰も手伝ってくれない!」。

行方不明者の捜索は、上野さんら地元消防団員10人に委ねられました。

「排水ポンプがあれば、重機があれば、協力者がいれば、もっと早く家族を発見できたのに・・・」。

寒さの中、懸命の捜索活動が続きました。原発事故や放射線は全く気になりませんでした。

「家族に会いたい!」

その思いが、疲れた体を動かしていました。

地元消防団は、40人以上の遺体を収容しました。

皆、顔見知りでした。

上野さんは言います。
「原発事故がなかったら、救えた命があったかもしれない。
原発事故がなかったら、もっと早く家族に会えた人もいる。
原発事故は、人災です。当時の菅総理や東電社長は此処に来て謝るべきだ。それがないかぎり、私は政府も東電も許さないと」と。

★金魚アートの深堀隆介さんがこの程、上野さんの亡くなった8歳の娘さんと、3歳の息子さんの布製のズックに、金魚を描きました。

深堀さんの金魚アートは、透明なアクリルに描かれた金魚の絵が、何層にも透明樹脂を流し込むことで、立体感をもって生きているように迫ってきます。

上野さんと同い年の深堀さんは、亡くなった子供達と、自分の子供の存在が重なりあいました。

魂の金魚アートは、4ヶ月の歳月を費やし、完成しました。

娘さんの金魚の脇には、美しい桜が、息子さんの金魚の脇には、花火が描かれています。

★今年3月11日、深堀隆介さんは一編の詩を作りました。

「水底(みなそこ)の花」

あの日、水が全てを持って行ってしまった。

家も、人も、思いでも。

今も深い海の底で眠っている、尊い命よ。

聞こえますか、私達の声が。

呼んでいますか、私達の事を。

あなたたちの事は決して忘れない。

私達の心に永遠に咲き誇る、水底の花。