第256話 卒業おめでとう

 

今朝2時前に送られてきた感動のメールを転送します。

送り主は、3月1日に福島県立原町高校を卒業した沼能奈津子さんです。

沼能奈津子さんは、生徒会副会長や放送部長を務め、原町高校を引っ張ってきました。

推薦入学で法政大学社会学部に進みます。

将来はメディアの仕事につきたいと考えています。

沼能奈津子さんの思いは、浪江町のいや、原発事故で帰れない人達の悲しみ、怒り、不安、そして故郷への感謝の気持ちを代弁しているように思えてなりません。

夜分にすみません。ずっと考えていたらこんな時間になってしまいました。

大和田さん、おかえりなさい。美女はたくさんいましたか?フランスでの生活が充実していたことが伝わってきます。私もフランスいってみたいです!

★昨日、1年11ヶ月振りに浪江の自宅に一時帰宅しました。報告します。

変わらない綺麗な空、我が家。そんな風景に安心感を覚えながら自宅の周りを歩く。ピピーと放射線測定器が鋭い音を出す。自宅の線量は約3マイクロシーベルト。現実を知る。どんなに見た目が変わっていなくても確実に変わったことがある。放射線は目に見えず、以前と変わらない自宅を見ると帰れるかもしれないという錯覚を覚えてしまう。 しかし、それは違う。まだ帰ることはできない。中はねずみに荒らされていた。しかし、以前、両親が整理をしてきたのでそこまで汚れてはいなかった。友達にプレゼントして貰ったもの、集めていたもの、小中学校で使っていた教材などを見つける。ただただ懐かしい。一つ一つに思い出がある。小中学校の卒業アルバムは置いてきた。私が成長した証。それらを浪江の自宅から持ち出してしまうと、二度と帰れない気がする。生きた証を浪江の自宅に残したかった。

私が卒業した苅野小学校や浪江中学校にも行った。小学校周辺は約4マイクロシーベルト、中学校周辺は約5マイクロシーベルト。再び現実を知る。母校が荒廃していた。そんな姿みたく無かった。子供がいない学校はただ冷たい建物だった。

請戸にも足を運んだ。約0.1マイクロシーベルト。初めて見る地元浪江町の海岸。2011年1月1日に初日の出を拝んだ海岸。跡形もない。あるのは潮の香り。言葉にならなかった。カメラを回すことに抵抗を感じた。正直、怖かった。しかし、伝えなければならない。この言葉を自分に言い聞かせ、撮影した。警察官が捜索をしている。感謝の言葉しか浮かばない。

何度も目を塞ぎたくなった今回の一時帰宅。現実と向き合うことがどれだけ難しく、苦しいことか、改めて感じた。しかし、これから福島を離れるからこそ知らなければいけない現実だと思う。今回は、映像だけでは感じることのできないものを感じることができた。

2年間、沢山の葛藤や悲しみを身近でみてきた。その中で、他人の悲しみや苦 しみを背負うことができないもどかしさを感じた。背負うことができないなら、人々の苦しみや悲しみを汲み取り、それらの思いを社会に訴えかける存在になりたい。その方法を大学で見つけたいと思う。

正直、福島から離れることに負い目を感じることがある。私だけ現実から離れていいのだろうか。私だけ羽を伸ばしていいのだろうか。自問自答の日々。しかし、福島県外からの視点を養うことも重要なことだと思ようになった。東京でこれまで以上の温度差を感じ、嫌になることもあるだろう。それらの現実を含め福島県だけでなく、日本全国の現実と真っ正面から向き合っていきたい。

今回の一時帰宅は様々な意味で実りのあるものとなった。連れて行ってくれた両親に感謝している。

★とりとめもない長文失礼しました。拙い文章です。まだまだ伝えたいことがあります。もっと伝えられる文章を書けるよう修行します。最後まで読んで頂きありがとうございました。

沼能奈津子