第20話 奇跡のピアノ

 

いわき市平豊間にある、乙姫蒲鉾(おとひめかまぼこ)会長・四家広松さんを偲ぶピアノコンサートが、いわき市の結婚式場の一室をお借りして開かれました。

このピアノコンサートを開いたのは、広松さんの息子で、乙姫蒲鉾現社長の四家広彰さんです。

平成11年9月、(故)四家広松さんは、お孫さんの豊間中入学を記念して一台のグラウンドピアノを学校に寄贈しました。

このグラウンドピアノは豊間中学校の体育館に置かれ、入学式や卒業式で校歌を奏で、生徒達の成長を見つめてきました。

2011年3月11日午前、豊間中学校では卒業式が行われ47人が巣だっていきました。

その3時間後大津波が学校を襲いました。
体育館の時計は、3時28分で止まっています。
幸い生徒には被害はありませんでしたが、豊間中学校がある薄磯地区では104人が亡くなり、未だ7人が行方不明になっています。

昨年5月上旬、福岡県小郡市の自衛隊員40人によって、膝まであった砂と瓦礫が撤去され、ステージの上に横転していたグラウンドピアノが、体育館の中央に丁寧に運ばれました。

豊間中学校の復興を願って。

5月20日、自衛隊の善意を知った豊間中学校の関係者300人が体育館に集まり、ボロボロになったピアノで校歌を歌い、校舎に別れを告げました。

その後ピアノはずっと一人ぼっちでした。

「ピアノを瓦礫にしたくない!」いわき市の調律師・遠藤洋さんがピアノの修理を申し出ました。
遠藤さんは学校、寄贈者、市教育委員会から修理の許可を取り付け、8月1日ピアノを体育館から運び出しました。家族6人で。

運び出されたピアノは強い磯の臭いがしました。内部には砂が入り、弦は錆び付き、鍵盤も無くなっていました。

凡そ1万個にも及ぶ部品の取り換え作業が、半年間続きました。 遠藤さんの夢は、このピアノでもう一度豊間中学校の子供達に校歌を歌ってもらうことでした。

奇跡のピアノの復活を信じて、遠藤さんは懸命に修理を行いました。

そして今年3月11日、震災からちょうど1年、豊間中学校の生徒がこのグラウンドピアノで高らかに校歌を歌いました。

ピアノが本当に復活した瞬間でした。

校歌を伴奏したのは、昨年5月20日ボロボロのピアノで泣きながら校歌を弾いた、磐城高校3年生の小野幸輔くんでした。

幸輔くんの実家も、薄磯で蒲鉾の製造販売業を営んできましたが、津波で全てが流されました。

大切にしていたピアノも。

このグラウンドピアノを豊間中学校に寄贈した四家広松さんは、6年前93歳で他界されました。

ピアノの右側には、四家広松さんの名前と寄贈された年月日が書かれています。

この日、ピアノを修理した遠藤洋さんは挨拶の中で、「私はこのピアノに四家広松さんの名前がなかったら、修理をさせてもらわなかったかもしれません。私達はこの震災で多くの大切な物を失いました。しかし、代わりに家族や、人と人を結ぶ『絆』の大切さを実感することができました。これからも、ピアノを寄贈した時の四家広松さんの思いをずっと残していければと思っています。私の後は、調律師の息子達がこの思いを未来に繋いで行きます」と。

コンサートでは、このグラウンドピアノの復活の物語に感動した沖縄出身のsinger・普天間かおりさんと、地元いわき市のアマチュアミュージシャン・斎藤淳さんが、美しい歌声を披露しました。

ピアノコンサートを企画した四家広彰さんは、「諦めていたピアノに、再び命を与えて下さった遠藤洋さんや関係者の皆さんに、心から感謝致します。親父も喜んでいると思います」と挨拶し、ピアノに一礼しました。

奇跡のピアノは福島の復興・復旧のシンボルの一つとして、これからも私達に元気と勇気を与えてくれると信じています。