第184話 高橋亨平先生

 

高橋亨平先生がお亡くなりになりました。昨年夏に先生にお会いした時の取材メールを、改めて転送します。

合掌。
 
高橋亨平先生
 

★大腸がんを患いながら、南相馬市で放射線と向き合い、診療を続ける原町中央産婦人科の高橋亨平(きょうへい)先生にお話を伺いました。

高橋先生は9月上旬まで毎日、南相馬市から1時間20分かけて、県立医科大学放射線治療科へ通っていました。

「何の為に、こんな苦しみに耐える必要があるのか」と、ふと思う時がりました。

そんな時、高橋先生は思いました。

「この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない」

原発事故後、分娩できる施設が無かった南相馬市も、南相馬市立総合病院
の産婦人科などがこの4月から分娩を開始しました。

高橋先生は、自分の役割は終わったと思いました。

しかし、自分を頼って来てくれる患者さんを断ることはできません。

先生は自らの命を削りながら、毎日診療を続けています。

『使命感のもとに』

★高橋先生は全国のdoctorにブログで呼びかけています。

「こんな診療所ですが、勤務していただける勇気あるdoctorを募集します。婦人科、内科、消化器科、循環器科、総合診療科、何科でも結構です」

「ガンと闘って、頑張ってきましたが、甘くは無いなと感じています。何時まで生きられるかわかりません」

「覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願いです。どうか宜しくお願いします」と。

震災から一歩も逃げずに、南相馬市の医療を支え、住民の心のよりどころとなってきた高橋亨平先生の『命の叫び』が、どうか届きますようにと、願わずにはいられません。

高橋亨平先生の行動や言葉には、魂が宿っています。

政治家の「政治生命をかける」という言葉がなんと陳腐なことか!

★高橋亨平先生のご冥福を心よりお祈り致します。