第183話 高橋亨平先生
★大腸がんと闘っていた南相馬市の中央産婦人科医院の高橋亨平先生が今日午後6時時33分、南相馬市立総合病院で亡くなりました。
東大医科研の坪倉先生がみとりました。
眠るように、天に召されたそうです。
本当に残念です。昨年の夏に高橋亨平先生にお会いし、お話を伺ったのが、最後となりました。
その時に送ったメールを改めて転送します。
合掌。
★大腸がんを患いながら、南相馬市で放射線と向き合い、診療を続ける原町中央産婦人科の高橋亨平(きょうへい)先生に、明日朝8時20分から、電話でお話を伺います。
時間は5分間。 体調が良ければという条件付きで。
高橋先生は毎日、南相馬市から1時間20分かけて、県立医科大学放射線治療科へ通っています。
「何の為に、こんな苦しみに耐える必要があるのか」と、ふと思う時がります。
そんな時、高橋先生は思います。
「この地域に生まれてくる子供達は、賢く生きるならば絶対に安全であり、危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから守ってやらなければならない」と。
原発事故後、分娩できる施設が無かった南相馬市も、南相馬市立総合病院の産婦人科などがこの4月から分娩を開始しました。
高橋先生は、自分の役割は終わったと思いました。
しかし、自分を頼って来てくれる患者さんを断ることはできません。
先生は自らの命を削りながら、毎日診療を続けています。
『使命感のもとに』
★高橋先生は全国のdoctorにブログで呼びかけています。
「こんな診療所ですが、勤務していただける勇気あるdoctorを募集します。婦人科、内科、消化器科、循環器科、総合診療科、何科でも結構です」
「ガンと闘って、頑張ってきましたが、甘くは無いなと感じています。何時まで生きられるかわかりません」
「覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願いです。どうか宜しくお願いします」と。
震災から一歩も逃げずに、南相馬市の医療を支え、住民の心のよりどころとなってきた高橋亨平先生の『命の叫び』が、どうか届きますようにと、願わずにはいられません。
高橋亨平先生の行動や言葉には、魂が宿っています。
政治家の「政治生命をかける」という言葉がなんと陳腐なことか!
★また、明日午後3時に、高橋亨平先生にお会いします。
先生は、「何とか10分間なら、話せると思うよ」と、おっしゃってくれました。
嬉しい限りです。
高橋先生の魂の叫びを聞いてきます。
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2013年1月22日 | 南相馬市