第18話 自衛隊の思い

 

2011年3月11日午前、いわき市薄磯の豊間中学校では卒業式が行われ、47人が巣立って行った。

その3時間後、大津波が学校を襲った。

時計の針は、3時28分で止まっている。

幸い生徒に被害はなかったが、薄磯地区は100人が亡くなり、10人が行方不明となっている。

5月14日、福岡県小郡駐屯地の陸上自衛隊員40人が 豊間中学校体育館に入った。

全ての瓦礫を撤去する為に。

自衛隊は、膝まであった瓦礫と砂を4日間かけて撤去した。

床を瓦礫の中から見つけたモップと、自分達のペットボトルの水を使って、ピカピカに磨きあげた。

ステージ上には、津波の被害を受け横転したグラウンドピアノがあった。

指揮をとっていた山口勇3等陸佐が言った「このグラウンドピアノを体育館の中央に運ぼう」

ピアノを見た山口勇3等陸佐は、「このピアノは豊間中学校の復興のシンボルになる」と直感したという。

山口勇3等陸佐の指示を受け、自衛隊員によりピアノは丁寧に体育館中央に運ばれた。

豊間中学校の復興を願って。

自衛隊の善意を知った豊間中PTA が動いた。

昨年5月20日、体育館に学校関係者300人が集まり、このピアノで校歌を歌い学校に別れを告げた。

その後ピアノは一人ぼっちになっていた。

「ピアノを瓦礫にしたくない」

いわき市の調律師・遠藤洋さんがピアノの修理をかってでた。

市教育委員会、学校、寄贈者の了解を得て、8月1日、ピアノを体育館から運び出した。

その後、1万個にも及ぶ部品の修理が、半年間続いた。

震災から1年経った3月11日、豊間中学校の生徒がこのピアノで校歌を歌った。

本当にピアノが甦った瞬間だった。

自衛隊の山口勇3等陸佐は、ラジオ福島のホームページで、ピアノの復活を知った。

嬉しくて胸が熱くなった。

そしてこの9月、横浜高島屋で行われた「大東北物産展」の会場で、調律師の遠藤洋さんと自衛隊の山口勇3等陸佐が対面した。

2人は、黙ったまま力強く握手を交わした。

「奇跡のピアノ」は今、復興・復旧のシンボルとして日本中に被災地の喜びや悲しみを伝えている。

ピアノを瓦礫にしなかった2人の男に心から感謝。