第172話 年末に出した手紙

 
私の友人から届いたメールを転送します。
 

去年の年末に某中学校の校長先生宛にこんな手紙を出しました。

★定型の時候の挨拶もなく突然のお手紙失礼いたします。

先日のことですが、貴中学校の生徒達が下校時、わたしが仕事で運転する車のフロントガラスに、雪玉を投げつけてきました。

よくある中学生のおふざけが、わたしの車にたまたまヒットしたのでしょうが、そのまま、なかったことにはできませんので、車をUターンさせ生徒達に声をかけました。というより、運転席のドアを開け、まずは怒鳴りつけました。

生徒達はまさかわたしが引き返して来るとは思ってもいなかったようで、びっくりして固まっていたようでした。

時節柄、既に人物をはっきりとは識別できないくらいに闇が降りてきていましたので、そのように見えたという感じですが。

その後、わたしは車を路肩に停め、生徒達と向かい合いました。生徒達は四人おりました。

誰が雪玉を投げたのか。もしも石が入っていたらどうなっていたか、などを大声で問い質し、以後気を付けるようにと伝え生徒達とは別れました。

さて、このことを経て、わたしは考えました。このままでは生徒達のためにならないのではないかと。そこでこの手紙を出そうと思いました。

これは、生徒達の中から犯人を捜して学校側で然るべき指導をしてほしいという話ではありません。

わたしと生徒達の間では、悪いことは悪い。やってはいけないことをやってしまったらきちんと謝る。これをもって確認は済んでおります。

わたしが車をUターンさせ大声で怒鳴りつけた時、生徒達は逃げる気になれば逃げられたはずです。

しかし、その場から逃げることなく留まりました。 わたしが中学生の頃でしたら、間違いなく逃げたことでしょう。(笑)
 
また、誰が雪玉を投げたのかの問いに、四人の中の一人が「はい、僕が投げました」と挙手してくれました。これはとても勇気のいることだと思います。

逃げずに自分のやってしまったことを短い時間で省み、僕が投げましたと声に出したのだと思います。そして「ごめんなさい」とわたしに伝わる声で謝ってくれました。

これに続いて他の三人も同じくごめんなさいと声に出してくれました。

これは考えさせられました。人は誰でも間違うし、一連の流れや勢いの中でついうっかり破目を外すこともあるでしょう。そんな時、自分は素直にごめんなさいと言えているだろうかと。そうありたいと思ってはいるけれど、 はたして素直に謝るということが実践できているだろうかと。

また、仲間のために一緒に謝れる自分でいるだろうかと。

わたしのようなものがこの様なお願いをするのはおこがましいのですが、もし可能であれば全校集会などの場で、ちょっと破目を外してしまった生徒がいるけれども、それに対し「僕がやりました」と勇気を持って名乗り出、伝わる声で「ごめんなさい」と言えたことは素敵なことです、と伝えて頂けないでしょうか。

「やったとこに対しては叱ったけれど、そのお陰で人として大事なことを改めて考え、素直な中学生が近所にいることに嬉しさを感じている」と、その時の運転手のおじさんは感謝していると伝えて頂けないでしょうか。

頭ごなしに怒鳴りつけられたまま では、生徒達の心に重しが乗ったままになってしまうのではないかと案じております。

ご面倒なお願いとは存じますが、生徒達の素直さに傷が残らないようお取り計り頂きたくお願い申し上げます。