第150話 双葉町~警戒区域

 
★原発事故により警戒区域となっている双葉町。
 

2012年12月26日(水曜日)。

 
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写真①双葉町公民館前。
原発と供に生きてきた双葉町を象徴するかのようなアーチ。
「原子力明るい未来のエネルギー」。
しかしそれは、自民党政権時代に、国策として推し進めてきたもの。安全、安心の名のもとに。安全神話が崩れ去った今も、安倍政権からは反省はあっても、謝罪の声はいっさい聞かれない。
選挙では、「脱・卒・0(ゼロ)」などと、原発事故が弄ばれて終わってしまった。

 
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写真②JR 双葉駅ホーム。
錆びた線路が1年9ヵ月の時の流れを物語る。
近くのアパートのベランダには洗濯物が干したままになっていた。
浪江町や双葉町の住民には、原発事故が起きる前の3月12日朝に、避難指示が一斉に出た。住民は直ぐに戻れると思い、貴重品を持たずサンダルのまま避難した人もいた。

 
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写真③双葉駅の売店に残る2011年3月11の新聞。

警戒区域になっている、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町は震災の日から時間が止まっている。

「復興元年」の掛け声の虚しい1年だった。

★原発事故により12万人が故郷をおわれ、苦しい避難生活を強いられている。ストレスから肥満、高血圧、糖尿病、認知症が進み、将来の不安から自らの命を絶つ人もいる。

被 災3県の中で、震災関連死は福島県が突出して多い。

福島県は「震災関連死」ではなく、「震災原発事故関連死だ!」と、地元新聞社の編集局長が言った。

避難住民、特に一人暮らしの高齢者の体と心のケアが最優先課題となっている。

今年1年、取材していて一番多く聞かれた言葉、
「原発事故さえなかったら」
この言葉が重くのしかかる。