第13話 原発では誰も死んでいない!

 

会津若松市の仮設住宅を訪ねた。

浪江町から避難してきた人達が、肩を寄せ合って生きている。

2011年3月11日(金)午後2時46分、マグニチュード9の大地震が東北を襲った。

その40分後、大津波が全てを奪っていった。

9月25日現在、震災による福島県の死者は、2900人、行方不明者は211人。

浪江町では345人の死亡が確認されている。

私が訪ねたAさん(72歳・男性)は、浪江町役場から西へ500メートルの地点で食堂を営んでいた。

3月に開店したので「やよい食堂」と名付けた。浪江焼きそばやラーメンが人気メニューだった。

3月に開店し、45年間続いた「やよい食堂」は、3月に閉店した。

・3月12日午後4時前、東京電力福島第一原子力発電所で水素爆発が起きた。

直後、浪江全町民に避難命令が出された。Aさんは家族5人で、浪江町津島に逃げた。

ここに3日間いた。あとで知ったが、津島地区は放射線量が高かった。当時50マイクロシーベルトと発表されていた。

50マイクロシーベルトが何を意味するのか、全く分からなかった。

その後Aさんは、川俣町~大宮~福島市~会津若松市と避難を繰り返し、6回目の引越しを経て、会津若松市の仮設住宅に落ち着いた。

警戒区域となっている故郷・浪江には、これまで5回一時帰宅した。雑草をかき分けて自宅に入った。

余震の影響で壁が崩れ、雨漏りの影響か、畳はかびて悪臭が鼻をつく。

動物に荒らされた台所は、腐った食品が散乱していた。

Aさんは、「もう住めないな」と思った。

墓参りのため菩提寺に行った。墓石は全て倒れていた。納骨堂も傾き、開いた扉から骨壷が地面に落ち、遺骨がさらされていた。

Aさんは思わず手を合わせた。

震災から1年6ヶ月。Aさんは「疲れてた」を連発するようになった。体力も気力も萎えていくのを感じている。

・今年5月27日、避難先から一時帰宅で浪江町に入っていた62歳の男性が、自宅倉庫で自ら命を絶った。

Aさんの友人だった。

自殺した男性は生前、避難生活のストレスや経済的な不安で眠れない日が多いと訴えていた。

Aさんは言う。「浪江町の住民で自殺した人を何人も知っている。避難生活中に病死した人もたくさんいる」

「これは全部、原発に殺されたんだ」と。

・7月16日に名古屋市で開催された「エネルギー・環境の選択肢に関する意見調査会」で、中部電力原子力部の男性課長(46)が個人的な意見として言った。

「福島の原発事故の放射能で亡くなった人は一人もいない。今後5、10年たっても変わらない」

「政府は原子力のリスクを過大評価している。このままでは日本は衰退していく」と。

彼は、福島に来たことがあるのだろうか!

・福島では今、原発事故により、無理な避難生活を強いられ、未来に希望を持てない人がたくさんいる。

一日中、仮設住宅に引きこもっている人。ストレスや運動不足から高血圧や肥満になり、糖尿病患者も急増している。

認知症も進むケースが顕著だ。

そして、何よりも生き甲斐をなくしてしまった人が多い。

岩手・宮城・福島の被災3県の中で、「震災関連死」も福島県が突出している。

政府の対応の遅れが、福島県民を殺しているのだ。

『野田総理、東電社長、福島に来て原発事故で苦しむ県民の声を聞け!』