第104話 大人の責任

 

いわき市小名浜大原のイタリアンレストランdon 3で豊間中のピアノとソプラノ歌手の寺島夕紗子さんのコンサートが行われ、ピアノに縁のある50人が招待されました。
 
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豊間中のピアノは、津波で傷つきましたが、調律師・遠藤洋さんが一万個にも及ぶ部品の取り換え作業を行い、見事に甦りました。

奇跡のピアノの話を聞いたソプラノ歌手・寺島夕紗子さんが「ぜひそのピアノで歌いたい」と申し出、この日のコンサートの実現となりました。

寺島夕紗子さんのお父様が、反戦歌「さとうきび畑」を作詞・作曲しました。

沖縄本土復帰から40年の今年の4月。
寺島さんは、米軍が最初に上陸した沖縄県読谷村(よみたんそん)に「さとうきび畑」の歌碑を建立しました。

平和の願いを込めて♪

10分にも及ぶ大作「さとう きび畑」に多くの人が涙しました。

寺島さんは言います「67年前、沖縄は人の手によって焦土と化しました。戦争は人間の心が起こすもの、だから止める事が出来るはず。戦争の不条理を発信する事が、私達の責任だと信じています」

コンサートが始まる前、この春、豊間中を卒業した女子高生5人が、7ヶ月振りに豊間中の校歌を歌いました。

その爽やかな歌声は正に福島の未来そのものでした。

前豊間中生徒会長でいわき光洋高校1年の吉田碧葉(あおば)さんは将来の夢について、「私は看護師になりたい。何故ならば震災直後、避難所で傷ついた人に何もしてあげられなかった。いざという時に人の役に立てる仕事につきたいと思ったているから」と、笑顔で話してくれました。
& amp; amp; lt; br>原発廃炉まで40年、気の遠くなるような歳月の先にある福島県の復興・復旧を担うのは若者達です。

彼らが自らの夢を実現できる福島県であって欲しいと願うと同時に、私達大人の責任が今問われていると思います。

今年3月1日、富岡高校の卒業式で生徒会長の若林みのりさんが答辞で言いました「人間がコントロールできない科学技術の発達によって、私達は大切な故郷や母校を失ってしまった。しかし、天を恨まず、自らの運命を自らの手で切り開いて行く事を誓います」と。

私達大人が、子供達の未来の為に何が出きるかを考えて行動して行きましょう。

高校生に見棄てられたら、福島県は終わりです。

国や県のリーダーそして政治家は分かっているのだろうか!

福島 県の子供達に栄光あれ!