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震災から6年をむかえる今 3/7

category : fukushima, news 2017.3.7 

石田君がシェルパの記事をみんなに送ってくれました。

 6年目シェルパ1

シェルパの古市くんと会って、
シェルパの今の様子を聞こうと2月中旬にお互い時間を取り合ってっていたのですが
障がいのある仲間の、急な病院への同行が入ったということで、会えないでいました。
電話での話では、楢葉の事務所(古市君の自宅)を、今度公の建物の中に移転すること
相双地区の基幹相談支援事業所として動き始めることなどの話を聞き、
職員がいなくて、なかなかうまくいかなかったこともある中で、
前に進んでいるシェルパを感じていました。
もちろん、余裕などない中で、古市君の体や気持ちや生活の心配はつきないのですが。

6年目シェルパ2

そんな折り、サポートぴぁの相談支援そらまめに移動し、がんばっている石田君から
古市君のことが載った新聞記事が、支部役員のメーリングリストに送られてきました。

その記事のひとつを転記します。
天声人語 (朝日新聞2017.3.2)
除染で削られた土だろうか、黒い袋が積み上がっている。大きなトラックがひっきりなしに行き交う。廃炉や復旧工事の作業の人たちで町内のコンビニはかなりの繁盛のようだ。福島第1原発から20キロ圏にある福島県楢葉町を訪れた▼事故のあと避難指示が出され、長い間住むことができなかった。解除されたのが今から1年半前である。そのころ町長が「スタートラインに立ったにすぎない」と語っていた通り、道のりは険しい。町民7千人余りのうち帰還したのは1割である▼いち早く帰った一人、古市貴之さん(40)に会った。事故前に町内の障害者施設で働いていた彼は、訪問介護するNPOを立ち上げた。障害者やお年寄りを訪ねるほか、障害のある子どもたちも預かる▼戻ったのは「意地」だという。「ふるさとがこのままでは悔しい。帰ってくる人たちを支えたい」。しかし、葛藤もある。大型車両だらけで以前とは変わってしまった風景。放射線の不安も消えてはいない。「どうぞ戻ってきて、と強く言う気にはなれない」▼戻るか、戻らないか、いまは決めないか。避難指示の解除は前進ではあるが、避難先の暮らしにすでに慣れた人たちに新たな葛藤をもたらす。「福島の復興はマラソンにたとえると30キロ地点」とは今村雅弘復興相の最近の発言である。避難区域は五里霧中のコースを走り始めたばかりなのに▼この春、浪江町など四つの町村で避難指示が解かれる。安堵だけではなく、不安や迷いが伴う道のりである。

シェルパは、決して平坦でない楢葉で、障がいある人の荷物を今日も担いで歩いています。 

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