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原発を再び動かさないこと・戦争をしない国であることを心から望みます

category : fukushima, news, 未分類 2015.7.23 

福島だから伝えたいこと

原発を再び動かさない事・戦争をしない国である事を心から望みます

私たちは、原発を再び動かすことは反対です。

2011.3.11あの日から・・・・多くの困難がふくしまに襲いかかりました。
それでも、きょうされん福島支部の会員さんは、地震・津波・原発事故から
障がいのある仲間を、かけがえのない作業所を守ろうと歩み続けてきました。

みなさん、
目を閉じて心の中で、その姿を想像してみてください。

原発1

四年が過ぎた今でも、110,000人もの人たちが、
自分の町に戻れず、自分の家に帰れず、
県内に散らばる仮設住宅、借り上げ住宅や復興住宅で暮らし
故郷から遠く離れた 日本中の町の中で暮らし
明日をどう生きていくか 苦悩しながら生きていることを。

土とともに生きてきた百姓が、
海とともに生きてきた漁師が、
山や川や自然の恵みとともに生きてきた人たちが、
あの日から 必死に懸命にがんばり続けても
まき散らされた放射能の始末がうまくいったり、うまくいかなかったりしながら
前のようにはいかない日々を過ごしていることを。

原発2

あの事故さえなかったら・・・・。
故郷の自分の家に帰ることを思い続けながら
亡くなり続けている震災関連死とされる人たちが、2,000人になろうとしていることを。

なのに、この国は
原発を再稼働させようとしています。
原発を動かさないでエネルギーを確保することを心底から考えず、
再稼働させようとしています。

あの事故以来、必死に「原発事故と障害のある人たちの防災計画」を考え続けてきました。
そして行き着く先は、
障がいのあるひとたちの命を守る最善の防災計画は「原発を動かさないこと」なのです。

私たちは、原発を再び動かすことは反対です。

私たちは、戦争しない国であることを守っていきたいです。

2011.3.11あの日から
警戒区域にあるきょうされん福島支部の会員作業所さんは、いち早く再開し障害のある人たちの、仕事や暮らしを支えてきました。
しかし、放射能でバラバラになってしまった町や家族が
ふたたびいっしょになることはできずに
多くの職員さんが、私たちの職場を退職していきました。

あの日から四年がたって、ふくしまのすべての会員作業所で
残ってくれた職員さんや震災後なんとか入ってくれた職員さんたちと、
作業所を立ち上げた所長さんたちは
障がいのある人たちと私たちはどう歩んできたかを振り返り そして学んでいます。
あの日から多くの困難に立ち向かい続けている今、大切なものを「次の世代に!」と。

あの地震、津波、原発事故で
多くの障がいのある仲間や家族は「気兼ね」し「遠慮」し「諦め」てきました。
避難することに、原発事故賠償請求で、避難所で、仮設住宅で、はじめての町で・・・・。
私たちは思いました。
障がいがあっても命をあきらめたくないと。
障がいがあっても命を守り続ける町にしたいと。
障がいがあってもあたりまえに生きていける町にしたいと。

みんなで学んだ「戦後70年障がい者はどう生きたか」で
戦えない障がいのある人は「非国民」「役立たず」「穀つぶし」と言われていました。

戦後史3

戦後史2

今、ふくしまでは、
原発事故の後始末やオリンピックにたくさんの人やお金やエネルギーが使われています。
福祉を支える若い人材不足の深刻さは危機的状況とまでいわれ
人件費や資材の高騰が作業所の再建を厳しいものにしています。

日本が戦争をする国になったら
あの時の「気兼ね」や「遠慮」や「あきらめ」が当たり前になる。
戦争にたくさんのお金やエネルギーや人が使われ
障がいのある人のことは「あとまわし」になる。「やっかい」になる。
そう思ってしまいます。

私たちは、戦争をしない国であることを守っていきたいのです。

2015年7月23日
きょうされん福島支部 役員一同

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